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根室国後「陸揚庫」最大のナゾ、建築年が分かった 昭和4年(1929年) 9月改築 札幌逓信局「工務時報」に記述

 ソ連軍による北方領土侵攻と占領をリアルタイムで根室側に伝えた通信施設「根室国後間海底電信線陸揚施設」(通称・陸揚庫)の建築年が、とうとう明らかになった。陸揚庫について調べ始めて13年。さまざま昔の公文書をあたってきたが、陸揚庫に関する記述はまったくと言って良いほど、出てこなかった。海底電信線に関する記録はかなり残されているのに、なぜだろうと不思議に思っていた。

 ところが…今年1月、根室市歴史と自然の資料館の猪熊樹人学芸員北海道大学附属図書館に所蔵されていた札幌逓信局の資料の中から、決定的な記述を見つけ、連絡をくれた。同局工務課が技術職員向けに発行していた機関紙「工務時報」の昭和6年6月20日発行の「7月号」に「海底線陸揚室の新装」という記事があり、その中に「一昨年9月改築された根室ハツタラ陸揚室」という記述があるのを発見した。私的には、近年にない「大発見」の1つである。

 記事によると、当時、道内には23の陸揚庫があり、いずれも木造の粗末なものだったようだ。その中で、他に先駆けて根室の陸揚庫が鉄筋コンクリート造に建て替えられたと読み取れる。記事には、昭和5年11月30日に木造から鉄筋コンクリート造に建て替えられたオネトマナイ陸揚室(稚内市)の写真が添えられていた。オネトマナイ陸揚室は、現在半壊した姿で辛うじて残っている。当時の工事費が明記されていることも実に興味深い。

 半壊した状態でかろうじて残る稚内のオネトマナイ陸揚室(下の写真)

 根室の陸揚庫の建築年については、昭和の初め頃ではないかという見方が有力になっていた。使用されている鉄筋が丸鋼鉄筋であり、その先端がUの字に曲げられていたことや壁の一部にアスファルト防水が施されていたことなど、明治末から昭和の初めにかけて一般的になっていく資材や技法が確認されていたからだ。加えて、昭和9年発行の根室の街を描いた絵ハガキに陸揚庫が描かれており、その建物が切妻屋根だったこともある。さらに、翌昭和10年に、同じ海底電信線を利用して国後島との間で電話回線が開通していたことから、それに合わせて、建て替えられたのではないかという説だった。

 根室国後島の間に海底電信線が敷設されたのは明治33年だが、その時に陸揚庫が建てられていたとしたら、鉄筋コンクリート造の建築物としては日本最古級になる。可能性は極めて小さいと分かってはいても、建築年の記録を探しながら、「日本最古級」の証拠が出てこないものかと、淡い期待を捨てることはできなかった。

 今回、昭和4年9月建築と明らかになり、少しばかり残念な気持ちはあったが、建築年が確定したことで、ある意味すっきりした。時期が明確になったことで、陸揚庫に関する周辺情報が出やすくなった、見つけやすくなったのではないかと思っている。

 何はさておき、今後見つけるべきは、建て替えられた時の陸揚庫の写真である。

根室国後間海底電信線陸揚庫(2022年2月撮影)

 

海底線陸揚室の新装(「工務時報」7月号 昭和6年6月20日発行)

 天鹽のオネトマナイ陸揚室及利尻島の石崎海底線陸揚室は是れまで木造で其の上随分古き建物であり殊にオネトマナイ陸揚室は風の為め土砂で常に半埋れとなり出入の都度土砂を掘り開かねばならぬ程の不便なる建物であったが昨年度稚内鴛泊間の電話用「ケーブル」も布設せられる事になったので孰れもコンクリート建に改築された。オネトマナイ陸揚室は1万3962円35銭、石崎陸揚室は5,934円55銭の工費で昨年11月30日両所とも見事に改築された。

 現在札幌局管内にある海底線陸揚室は23個所ばかりあるが、先年青函間電話「ケーブル」布設に伴い新築された当別陸揚室と一昨年9月改築された根室ハツタラ陸揚室を除き多くは木造で設備も不完全であり其の上古びて修理により僅かに維持され居るものが多いのであるが是れ等も早く改築して貰いたいものである。

 

【解説】

「工務時報」にある根室国後間海底電信線陸揚施設の建築年代について

(根室市歴史と自然の資料館・猪熊学芸員)

「工務時報」について

 工務時報は札幌逓信局工務課が発行したものである。1930(昭和5)年4月に第1号が発行され、1944(昭和19)年の第144号まで継続した。北海道大学附属図書館に所蔵されており、7冊の合本となっている。

 訓示、電信電話にかかる技術、材料、障害例、改良の紹介、工事事例、人事、職員消息、統計図表等の記事が掲載されており、毎月発行で札幌逓信局管内の技師を中心に執筆されている。タイトル下に「従事員の指導、養成の為め印刷を以て筆写に代ゆ」と記されており、電信電話の設置、保守に関わる職員の情報共有を目的に発行されたとみられる。

根室市の陸揚庫に関する言及について

 昭和6年発行工務時報7月号第16号の16ページに「海底線陸揚室の新装」という記事があり、昭和5年稚内市のオネトマナイ陸揚室、利尻富士町の石崎陸揚室が鉄筋コンクリート造(RC)に改築された記事がある。

 その記事の中で「一昨年九月改築された根室ハッタラ陸揚室」という表記があった。この記事が掲載されている工務時報昭和6年発行なので、根室市の陸揚庫は昭和4年9月にRCに改築されたとみられる。

 また、当時、札幌逓信局管内にある海底線陸揚室は23か所ほどあり、昭和4年根室市の陸揚庫、昭和5年北斗市当別陸揚室、稚内市のオネトマナイ陸揚室、利尻富士町の石崎陸揚室がRC化されたことが史料から読み取れ、道内の陸揚庫で根室が一番早くRC化されたことがわかる。施設名称も「根室ハッタラ陸揚室」が正確なところと推察される。

 このほか、この記事には、現在半壊している稚内市のオネトマナイ陸揚室の当時の写真が掲載されており、石崎陸揚室とともに建築に要した費用等の情報も含まれている。