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択捉島の旧国民学校が全焼「日本人がいた証し」元島民悲嘆

 北方領土択捉島で戦前に日本人が建設し、現在まで残っていた旧紗那(しゃ な)国民学校の校舎が17日、全焼した。同島の地元紙「赤い灯台」などロシアメディアが伝えた。ロシアの実効支配が続く北方領土で日本人が暮らしていた歴史を伝える貴重な財産が失われ、元島民からは惜しむ声が上がった。(北海道新聞2023/1/19)

 赤い灯台の電子版などによると、17日午前、択捉島紗那(クリーリスク)にある校舎で火災が発生。消防車5台が駆けつけたが、火の勢いは強く、消火できなかった。出火時は空き家で、けが人はなかった。

 校舎は1938年(昭和13年)11月、前年に全焼した紗那尋常高等小学校の新校舎として完成。木造平屋の建物に三つの教室と体育館(屋内運動場)があり、校長住宅も併設されていた。41年、紗那国民学校に改称された。旧ソ連軍が島を占拠した45年以降は一時、日本人と旧ソ連の子どもがこの校舎で一緒に学んだ。

 終戦前後に7年間、この校舎に通った択捉島紗那出身の岩崎忠明さん(88)=札幌市=は「午前中は旧ソ連、午後は日本の子どもが授業を受けた。体育館が一つしかなく、取り合いだった」と振り返る。初等科の卒業式では表面が日本語、裏面がロシア語の卒業証書が授与されたという。

 校舎は日本人が強制退去させられた後も学校として使われ、図書館などにも利用されたが、近年は老朽化が激しく使われていなかった。岩崎さんは「日本人が島にいた証しがなくなり、悲しい。国には戦前の日本の建築物の保護をロシアに求めてほしい」と話した。

 択捉島紗那には日本の水産会事務所や郵便局などの木造建築物が戦後も残っていたが、15年までにロシア側に解体された。旧測候所跡が残っている可能性もあるが、確認できていない。(村上辰徳)

元島民らの証言から作成した旧紗那国民学校の平面図(岩崎忠明さん提供)

2019年8月に撮影された旧紗那国民学校。戦前とほぼ同じ外観を保っていた(千島歯舞諸島居住者連盟提供)

焼失する前の旧紗那国民学校=2018年7月(村上辰徳撮影)