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マヤ文字を解読したクノロゾフ生誕100年 択捉島、国後島、色丹島でアイヌ文化調査

 今年はマヤ文明の文字を解読したことで世界的に知られるロシアの言語学者ユーリ・クノロゾフ(1922-1999)の生誕100年。1979年から1990年にかけてクノロゾフをトップに、クリル諸島(北方四島を含む千島列島)への遠征隊が組織された。民族学言語学、考古学の専門家が参加し、9回実施された。研究の目的はペトログリフ(岩絵)の探索とアイヌ絵文字の研究、考古学的調査だった。

 1950年代クノロゾフはクリル諸島が古代「ベリンギア」へのアプローチとみなすことができると信じていた。氷河期の第四紀、海の水位が下がりシベリアからアラスカまでつながっていた大陸のことだ。クノロゾフが特に興味を持ったのは1948年に地質学者ヴラソフによって択捉島のボグダン・フメルニツキー火山(散布山)のカルデラで発見された「石に書かれた文字」だった。1979年から1990年にかけて、クリル調査隊は択捉島国後島色丹島でフィールドワークを実施。信仰の場所と埋葬地を調査し、古代の炉跡から石炭のサンプルを収集した。その「ヤンキト1」と呼ばれる遺跡から見つかったサンプルの放射性炭素分析によってクリル諸島に人類が最初に定住したのは7000年以上前であることが明らかになった。

 クノロゾフのフィールドノートの一部がサハリン郷土博物館の資料に加えられた。同館の考古学責任者シュビーナ氏は「非常に興味深い資料だ。現代の考古学者がすべてに同意できるわけではないが、これらの文書は20世紀の天才と呼ばれる研究者が記録した歴史的な資料として貴重なものだ」と語る。

 クノロゾフはフィールド調査で記録を注意深く、綿密に行った。たとえば1985年のフィールドノートにはモスクワを出発してから、遺跡での発掘が終了するまでを詳細に書きとどめた。彼の報告書の1つ(1982年から1983年)は「サハリン郷土博物館紀要」に掲載する準備が進められ、生誕100周年を記念する出版とイベントの第一弾となる。

ノロゾフのオリジナルノートの中には、国後島のペスチノエ湖(東沸湖)、トレチャコボ(秩苅別)、ラグンノエ(ニキシロ)などを訪れた時の記述がある。彼は遠征の準備を入念に行い、知りうる限りの文献を研究した。また、アイヌ語に由来する地名を持つ日本の地図も研究した。彼のアーカイブには日本とソ連の両方の地図のネガが残されている。

 クノロゾフはまた土器の文様に特別な注意を払った。1985年7月のフィールドノートには、発見した土器片のスケッチとメモが残されている。アイヌ民族の道具、神具、器具、墓などの長年にわたる研究と分析を経て、クノロゾフは択捉島の岩で見つかったペトログリフに、文字は書かれていなかったという結論に達した。このことは、「ユーリ・ワレレンチノヴィッチ・クノロゾフ: アイヌ研究への貢献(クリル遠征)」を執筆しているピョートル大帝記念人類学・民族学博物館のオシポワ上級研究員によって確認された。

 マヤ文字を解読する独自のシステムを開発してから20年後の1977年、クノロゾフはソ連国家賞を受賞。1990年、グアテマラ大統領から特別なメダルを授与された。1995年にはモスクワのメキシコ大使館でメキシコ政府からも表彰された。クノロゾフと彼の偉業をたたえ郷土博物館では12月にテーマ別の展示会も予定している。(サハリン・インフォ2022/11/14)