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船の埋葬 考古学者は択捉島での出土品から「長墓文化」を特定した

択捉島の複合遺跡「キトヴイ-2」の発掘調査(2019-2020)を指揮したヴィャチェスラフ・グリシュチェンコ氏は「我々は中世(7世紀から9世紀)の遺物を見つけ、さらにその最下層に住居跡を見つけ、その隣から儀式用の建造物が出土した。長方形に配置された平らな玄武岩の石積みだった。サイズは長さ5m、幅70㎝。どうやら古代の住人は海岸から玄武岩を運び、埋葬を行う場所で加工したようだ。2019年に住居跡が1棟見つかり、2020年には類似した構造物がいくつか見つかった。これは埋葬地だと推測される。遺体は見つからなかったことから、おそらく古代の住民は死者を火葬に付したと考えられる。それは儀式の場所を満たしていた炭素層によって説明がつく」と話した。火葬の痕跡はオブジェクトの基部に残る焼成土の斑点によって確認できる。火葬の後、石板が設置され、その上から土で覆われた。石積みの周囲にフェンスが造られた。グリシュチェンコ氏らはこれを「長墓」と呼んだ。船での埋葬に似ており、これは世界各地でみられる。死者は船で先祖の国に戻ることができた。墓地は死者が住んでいた家のすぐ隣に建てられた。「そのよう発見は択捉島の古代住民のかなり発達した社会関係と豊かな精神世界を証明している」と歴史家は説明する。本土から隔絶されたクリル諸島の島々に集落が存在すること自体、かなり高度な航海術を身に着けていたことを示す根拠を与える。そのおかげで、この文化は海洋漁業を営みに、生きることができた。出土した住居跡、石材、陶器などから「キトヴイ-2」と「キトヴイ-4」の集落は新石器時代の初期のもの解釈することができる。2019年-2020年の調査結果によると、調査地域は機能別にいくつかのゾーンに区別できた。1つは、通年生活用の半地下住居、2つ目は夏季の住居あるいは地上倉庫。今、1万3000年前に択捉島に住んでいた人々が誰だったのかは想像することしかできない。彼らはどこから来たのか。太平洋の人々がクリルの土地に航海したことだけが分かっている。彼らが誰であるのかを理解するために、遺伝子解析を行う必要がある。しかし、遺体は火葬されているため、人間のDNAは使えない。この場合最新の方法として文化層からDNAを抽出する。この方法は私の同僚によってアルタイの洞窟で試みられた。古DNAの助けを借りて遺伝子学者は当時の人々の様子を描くことができる。いずれ「長墓文化」の人々がどのような人々に属しているのかを知ることができるかもしれない。択捉島での発掘調査で、考古学者はクリル諸島の定住の歴史において、より古い事実を発見し、「長墓文化」を特定した。今年、クリル諸島での発掘調査を継続することが決まった。次回の調査でサハリンの歴史を根本的に変える興味深いものが見つかる可能性は十分にある。(サハリン・メディア2022/8/26)

発掘調査が行われた紗那--内岡を結ぶ海沿いの遊歩道