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択捉島の「長墓文化」--1万3000年前に島に住んでいた人々の謎

 2019年から2020年にかけて択捉島の複合遺跡「キトヴイ-2」から、考古学者たちはソビエトと日本の家庭用品や中世の遺物とともに1万3000年~8000年前の集落を掘り起こした。人骨は出なかったが、住居跡と船の形をした儀式用の建造物が残っていた。この発掘調査について、2022年に「クリル諸島新石器時代初期—長墓文化」という論文がロシアの主要な専門誌の1つ「ユーラシアの考古学・民族誌学・人類学」に発表された。(サハリン・メディア2022/8/26)

謎の入植者

 古代、択捉島に誰が住んでいたか、これらの人々がどのように暮らし、どこから来たか--。発掘を指揮した考古学者ヴィャチェスラフ・グリシチェンコは「南クリル諸島で興味深い発掘体験をした。2019年、私たちの遠征隊は複合遺跡キトヴイ-2を調査した。上の層からソビエト時代のコインや、道具などが見つかり、下の層には中世の日本の遺物あり、住居跡も残っていた」と振り返った。キトヴイ(内岡)からクリリスク(紗那)間の海岸沿い2.7kmに遊歩道を造成することになり、着工前に考古学的調査が行われることになった。そして、このエリアから4つの遺跡が確認された。「合計で6回の掘削が必要だった。私たちが掘り始めたとき、クリルの人々は信じられないという顔で私たちの方を見た。多くの人が、そこは強風が吹き付け誰も人など住まないところだと言い、ここで何かを見つけることは不可能だと話していた。しかし、ソビエト時代、日本時代の遺物の発見に加えて、中世の住居跡が発見された。恒久的な建造物だった。その隣から石や土器が並んだ囲炉裏のようなものが見つかった」とグリシチェンコ氏は続けた。

 住居跡は、中世(7~9世紀頃)の遺物が出て来た、さらに下層から見つかった。その隣には儀式用の構造物があった。平らな玄武岩のスラブを長方形に並べた石積みで、サイズは長さ5m、幅70cmあった。どうやら、古代の入植者は海岸で玄武岩のスラブを発見し、埋葬の儀式をする場所で加工したようだ。2019 年には1つの住居が発見され、2020 年にはさらにいくつかの同様の構造物が発掘された。これらは埋葬地だと推測された。しかし、人間の遺体は発見できなかった。おそらく、古代の住民は死者を火葬に付したのではないか。儀式の場所を埋めた炭素質の層の存在が、そのことを物語っていた。(以下、次回に続く)