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根室覆った真っ赤な炎「これが戦争」6歳の少女が見た空襲、焼け落ちた繁華街

 根室市の市街地の8割を焼き、400人近くが亡くなった根室空襲から14、15日で77年になる。根室市の角鹿(つのか)邦子さん(83)は父の出征を機に、出身地の北方領土歯舞群島志発島から移り住んだ根室町(現根室市)で、1945年(昭和20年)7月の戦禍に遭った。真っ赤な火にのまれる根室の街。当時6歳の少女の目に映ったその光景は、今も目に焼き付いている。(北海道新聞釧路根室版2022/7/15)

 「ゴーー」。45年7月14日の朝、米軍機が4、5機、ごう音を響かせ根室市街地に近づいてくるのが見えた。市街地から約10キロ離れた歯舞村(現根室市)の双沖地区にあるおじの家に預けられた角鹿さんは、近隣の防空壕(ごう)へ避難を始めた。必死で逃げる角鹿さんの頭上を大きな飛行機が飛んでいった。

 防空壕で一夜を明かし、外に出ると、市街地の風景は一変。建物が並んでいた根室の街は真っ赤な炎で覆われていた。街には母や妹が残る。「ただごとじゃないことが起きた」。幼心にそう思い、ぼうぜんと立ち尽くした。米軍の記録では、根室空襲の2日間に飛来した米軍機は120。根室町市街地のほか停泊船も攻撃を受けた。根室空襲研究会によると、少なくとも395人が亡くなった。

 母が妹の手を引き角鹿さんの元に来たのは空襲翌日の7月16日。家族の無事を知り、角鹿さんはようやく安堵(あんど)した。だが無残に焼け落ちた繁華街に「これが戦争なんだ」と悟った。

 志発島南西部の西浦泊のコンブ漁師の家に生まれた角鹿さん。志発島での生活は平和な日々だった。目の前にある青い海はどこまでも広がり、家の裏の草原には冬に白鳥が訪れる湖があった。コンブ干しの作業をする母たちの近くで、角鹿さんは遊んだ。父と一緒に根室へ船で買い物に出かけることも楽しみだった。

 根室に転居したのは父に召集令状が届いたため。43年夏、母ら家族5人で島を離れた。戦争が終われば島に帰れると、家財道具を島に残した。しかし父は戦死し、北方領土終戦後の8月下旬から旧ソ連軍により不法占拠された。一家は故郷には戻れず、今に至る。

 2月、ロシアはウクライナへの軍事侵攻を始めた。角鹿さんは、武力行使を正当化するロシアに憤る。戦争がなければ、住んでいた根室は焼かれず、故郷の島も奪われず、父も亡くならずに済んだ。「戦争なんていいことは一つもない」。角鹿さんは目を潤ませながら語った。(武藤里美)

「戦争中だと知っていても、飛行機が爆弾を落としに来るとは思わなかった」と話す角鹿邦子さん