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樺太時代の上敷香と知床を探索 サハリン市民が寺院跡や奉安殿、忠魂碑などを確認

古い日本の地図を頼りに、サハリンの市民グループが約100年前に、日本人が暮らした大きな町があった場所を訪ねた。当時の町の面影はなく、通りは沼地に変わっていた。神社へ続く道は草で覆われ、日本の漢字が刻まれた記念碑がひっそり建っていた。アンドレイ・ショニンと仲間たちは歴史的な場所へ旅に出た。1933年には数千人の日本人が暮らしていた現レオニードヴォ村(旧上敷香)--。以前、洪水で流された後は、いくつかの場所は通行不能となっている。市民グループは金属探知機を持参して、仏教寺院と神社の跡を探した。社殿の遺構が丘の上で見つかった。大きな寺院だった。手水鉢の土台などが残っている。建物の一部はコンクリート造で他の部分は木造だったのだろう、建物は焼失した。階段はマヤの建造物のそれに似ていた。一行はノヴィコヴォ村(旧大泊郡知床村)に移動し、日本の古地図で学校跡に記された奉安殿を探した。生徒たちが放課後に拝んだ場所だ。近くで、鮮やかなオレンジ色の苔が生えた記念碑を見つけた。「これに関する情報はどこにもない」とアンドレイ。何が書かれているのか。専門家に問い合わせると、「戦闘で亡くなった兵士の記念碑」だという。サハリンの歴史家イーゴリ・サマリンによると、ノヴィコヴォ村の忠魂碑に関する情報は、彼が著したガイドブックにも載っているという。一行は、菊の紋章がある記念碑に出くわした。文字は一つも刻まれていない。今回の探索で、彼らはいくつかのコインと古い時計、そして薪の束を背負ったおばあさんの小像(※二宮金次郎像のようだ)を見つけた。(astv.ru 2022/6/8)