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戦後77年 北方領土とのビザなし交流が始まり30年…中断が続き、元島民「もう行く力はありません」

 テレビやネットで、ロシアのウクライナ侵攻=戦争の映像を毎日、目にするようになりましたが、夏に向けて、新たなシリーズ「戦後77年」を立ち上げることにしました。1回目のテーマは「北方領土問題」です。(HBC北海道放送2022/5/19)

 パソコンの画面に参加者の顔が並びます。

元島民3世 久保歩夢さん(17)

「元島民がいなくなってしまうと早期の北方領土返還からは遠ざかってしまうでしょう」

 根室に住む、高校3年生の久保歩夢さん。祖父は、北方領土の元島民です。

 この日、竹島をめぐり、同じ領土問題を抱える島根県隠岐の島町のオンライン講座に参加しました。

 元島民3世・久保歩夢さん(17)

「僕はビザなし訪問に行った時にロシア人と実際に話した。大きくて一見怖いと思うかもしれないが、実は彼らは同い年で全然怖くなくて、かなり優しくて一緒にいて楽しかった。気さくで話しやすい。彼らから島を奪い、同じ思いをしてほしくない」

 歩夢さんは3年前、ビザなし交流で択捉島を訪れたことをきっかけに北方領土に関心を持つようになりました。

 国後島出身、祖父の幸雄さんです。

国後島出身 久保幸雄さん(87)

「もし島が返ってきたらどうする」

元島民3世 久保歩夢さん(17)

「まずはじめに国後島に行って、じいちゃんが住んでいたところに行きたい。俺も最初、択捉島に行くまで北方領土問題についてあまり深く関わろうとは思っていなかった。実際に行ったら気持ちが変わった」

 



 祖父の幸雄さんは、8歳の時に病気で視力を失いましたが、国後島の風景は、今も鮮やかに覚えています。

国後島出身 久保幸雄さん(87)

「魚のいっぱい見えるところで遊ばせたいし見せたいと思うな…きれいな海だから」

歩夢さん

「何色だった?」

幸雄さん

「透き通っていた。魚が泳いでいるのが見えた」

 幸雄さんが10歳だった1945年、「日ソ中立条約」破棄して千島列島に攻め込んだソビエト軍

 日本が無条件降伏した8月15日以降も侵攻を続け、久保さん一家が暮らす国後島にも現われました。

国後島出身 久保幸雄さん(87)

「(8月)15日が敗戦ですから、そのあと8月の末頃にソ連軍が入ってきた。ちょうどそれがうちの前に停まった、船がだんだん近づいてくると言葉が違う。これは日本の船じゃないぞということで、いとこと慌てて海岸からうちまで50、60メートルあって、慌てて飛び込んで行って、裏の草原まで家族で逃げました」

 あれから77年、ロシアによる不法占拠は、今も続いています。

 (91年の)ゴルバチョフ大統領の来日をきっかけに枠組みが決まった「ビザなし交流」。

 翌年(92年)、四島から19人のロシア訪問団が根室に到着。

 時は、ソビエト連崩壊直後の経済の混乱期で、「10年ぐらいで領土問題は、解決するのでは」との声もありました。

 あの日から「ビザなし交流」は、今年で30年。

 去年、おととしは、新型コロナの影響で全面中止。

 そして、今年は、ロシアのウクライナ侵攻に対して日本が科した制裁の報復で、中断を余儀なくされています。

国後島出身 久保幸雄さん(87)

「残念なことだと思う。行ってみたいし、墓参のこともある(ビザなしが再開されたら国後に行きたい?)私はいまはそういう気はありません。もう諦めていますから。体力もありませんし、行く力はありません。若い者に任せるほかないなと思っています」

 根室の海岸。戦前の国後島とのつながりを伝える建物が、今も残っています。

 根室市ハッタラ浜に残る「旧国後島海底ケーブル通信所」。終戦直後まで、根室国後島を結んでいた通信海底ケーブルの陸揚げ庫です。

 歩夢さんの父、島民2世の浩昭さんは、長年、この陸揚げ庫の保存活動を続け、国の文化財登録に尽力してきました。

 50代半ばを迎え、領土問題の解決には、返還運動を若い世代に継承していくことが不可欠と考えています。

元島民2世 久保浩昭さん(54)

「領土問題はここで終わってほしいですけど、まだまだ続く可能性がある。うちの息子をはじめ、若い人たちに啓発していくのが非常に大事だと思う」

元島民3世・久保歩夢さん(17)

「実際に北方領土のことを知ると、北方領土について話しやすくなったり考える機会も多くなったりするので、少しでも北方領土で学んだことを次世代に語り継げればなと思います」

 戦後77年。元島民たちは、近くて遠い故郷が、いつか必ず返ってくると信じています。

国後島出身 久保幸雄さん(87)

「いまはこういう状態ですから、平和的に返還を求めたいけど、いずれ私たちの時代ではないですけど、北方領土は返るのではないかという希望を私は持っています」