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オホーツク文化 物語る 北構コレクション 重文級の考古資料  学芸員とっておき秘話 根室市歴史と自然の資料館・猪熊樹人さん

 根室市歴史と自然の資料館には、いずれ国の重要文化財に指定されるであろう「お宝」が眠っている。「北構コレクション」と呼ばれるオホーツク文化を中心とする13万点余の考古資料だ。在野の考古学者、北構保男氏(享年101)が亡くなる3年前の2017年、寄贈した。数ある資料の中で、とりわけ有名なのが、海洋民族・オホーツク人がなりわいとしていた捕鯨の様子が写実的に刻まれた針入れである。(毎日新聞北海道版2022/1/11)

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 針入れは長さ8.3センチ。4本の銛が鯨に刺さる様子が刻まれ、うち2本は舟とロープでつながり、もがく鯨に射手が、今まさに「止め矢」を撃ち込まんとしている。6人のこぎ手も4本の櫂を握って射手の一撃を待つ、というストーリー性満載の彫刻が施されている。

 6~8世紀の遺物で「捕鯨彫刻図針入」と呼ばれる。アホウドリ類の上腕骨でつくられており、骨の空洞部分に当時貴重だった針を収納していた。捕鯨の様子が描かれた針入れは香深井遺跡(礼文町)、モヨロ貝塚(網走市)などからも出土しているが、同資料館学芸主査の猪熊樹人さん(45)は「これほど多くの情報を物語ってくれる遺物は他にない。オホーツク人の暮らしぶりがよみがえる」。

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 北構氏は、13歳だった1932(昭和7)年、根室湾の入り口に防波堤のように浮かぶ弁天島遺跡でこの針入れを発掘し、考古学にのめり込んだ。道東の遺跡をはじめ、国後島色丹島歯舞群島の遺跡も調査し、37、38年には日本民族学会の北千島調査に参加、「謎の海洋民族」とも呼ばれたオホーツク文化の解明に挑んだ。

 同文化の遺跡は、サハリン南部から本道のオホーツク海沿岸、そして北千島まで分布する。皮肉にもそれは、戦前の日本の北の版図でもあった。「戦争が終わったら、千島列島の調査をしてオホーツク文化を解明したいと思っていたが、ソ連に奪われ、それもかなわなくなった」。生前、記者にそう漏らしていた。

 だが、北構氏は諦めなかった。冷戦時代の77年、旧ソ連の科学アカデミーの研究者を呼んで根室で「日ソ共同調査」、ソ連崩壊後の93年にも弁天島遺跡で日露共同のオホーツク文化調査を行った。さらに北千島で戦前発掘された資料を譲り受けて報告書を何冊も刊行した。

 コレクションのうち約3分の2は弁天島遺跡の出土品。このほか、温根元竪穴群から出土したマッコウクジラの牙で作られた「牙製婦人像」など、重文級の資料を数えたらきりがない。「市には絶対にやらない」と公言していた北構氏だが、100歳を前にして寄贈を決めた。「根室の子供たちに自分がやってきた仕事を引き継いでもらいたい」と90年近くの歳月を費やしてもなお未完の研究を次代に託した。

 「実は、北構コレクションは1945年7月の根室空襲で焼失していた可能性もあった」。猪熊さんはこう打ち明ける。北構氏は当時、文部省民族研究所嘱託で東京にいた。「空襲の少し前、母ふみさん(故人)が『息子が大事にしていた宝物だから』と針入れなどの入ったコンテナを2キロほど離れた実家に疎開させ、焼失を免れた」というのである。

 動物考古学が専門の猪熊さんにとって、狩猟・漁撈の遺物が豊富に出土するオホーツク文化への興味は北構氏と一致する。だが、コンテナ1243箱分の膨大な資料の整理は緒に就いたばかり。「文化財指定は北構先生の総仕上げ。私が定年を迎えるまでには何とか形にしたい」。猪熊さんはそう語り、目を光らせた。【本間浩昭】

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