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ドキュメンタリー映画「クナシリ」が伝える「微妙な真実」

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 「随分、偏った立場の人ばかりにインタビューしていると思いましたが、北方四島の一面が知れたように感じまた」--ベラルーシ出身のウラジーミル・コズロフ監督が撮ったドキュメンタリー映画「クナシリ」を釧路で観たという友人は、感想をこう語ってくれたのだが、この映画が伝える「クナシリ」の「真実」が、どうにも微妙でひっかかっている。

 「プロパガンダ的な映像が多い中、北方四島の現状について批判的なロシア人の声を交えた映画は珍しい」(読売新聞オンライン2021年11月29日)という、ドキュメンタリー映画「クナシリ」は、次のような字幕で始まる。

 「国後島は1945年にソビエト連邦に併合され、翌年1万7千人の日本居住者は強制退去させられた。両国における平和条約は締結に至っていない」--。

 この短いけれど、映画を語るうえで重要と思われる冒頭の字幕の中に、明らかな事実誤認や紛らわしい表現が幾つか含まれているが、お分かりだろうか?

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 映画には地元で「黒い穴掘り人」と呼ばれる男性2人が登場する。誰の許可も得ず、日本人の住居跡などを勝手に掘って回って、日本人が使っていたものを発掘し、自分のコレクションにしたりする。中には販売目的の輩もいるらしい。

 黒いかどうかは別にして「穴掘り人」の1人が日本人の強制退去の様子について語っている。

 「私は1938年に生まれた。だから1946年には8歳か9歳だった。覚えているよ。その頃はもう学校に通っていた。授業をさぼって引き揚げの様子を見に行ったよ。高架橋の横に美しい寺があって、日本の鉄道の駅があったんだ。日本人の持ち物を調べて強制退去させていた。徹底的に調べていた。木の台に布がかけてあって日本人女性は裸にされた。想像できるか?脱がされるんだ。そうやって強制退去が始まった」--

 高架橋?鉄道の駅?いったい、どこの話をしているのだろうか。国後島に鉄道などはなかったし、元島民の手記や証言をいろいろ読んだり聞いたりしてきたが、女性は裸にされた、なんて話は一度も聞いたことがない。

「写真やハガキはすべて押収されていた。持ち出しは禁止されたんだ。彼らは着の身着のままで金も持たずに行った。台所用品も何もなしだ。許されたのはコップだけ。1人20キロまで、それが上限だ。青銅のものもすべて押収だ。寺の鐘も外された。溶かすためだ。4か月後、日本人は店を閉めるようになり、盗難を恐れて自転車を隠した。大火事が起きた。日本人の家は密接していて、木造の家だったから一帯が燃えた。あそこには電話も電気も水道も通っていた。クラスノダールベラルーシから来た我々には初めて見るものばかりだ。文明的な生活だ」

 「クナシリ」というドキュメンタリー映画に登場する国後島在住のロシア人が、日本人の引き揚げの様子を語り出したので、当然、国後島で見たり聞いたりしたことだと思っていたら、話の舞台はどうも違うようだ。映画で挿絵的に使われている日本人の引き揚げを写した写真も、国後島のものではなく、その多くはサハリンで撮影されたものだと思う。

 映画「クナシリ」の公式ウエブサイトにこうある。

「幼少期に引揚の様子を目の当たりにした島民の当時を振り返る貴重な証言…などを、どちらにも偏ることなく客観的かつ淡々と捉えている」(公式ウエブサイト「introduction」より)

 編集長がノーベル平和賞を受賞したことで知られる「ノーバヤ・ガゼータ」紙の2019年4月15日付電子版に、この「貴重な証言」をした男性の記事が掲載されている。 f:id:moto-tomin2sei:20211210141447j:plain

 その人、アナトリー・マモートフさんは「1946年に両親と一緒にクラスノダール地方から子牛の馬車でサハリンに到着した。(北方四島と同じように、サハリンでもロシア人は日本人と数年間一緒に暮らした。) マモートフ家は裕福な日本人の大きな家の半分に定住した。所有者は製紙工場の関係者で、マモートフによれば、日本人との関係は良好だった。そしてサハリンの学校を卒業した。」と書かれている。

 国後島には製紙工場はなかった。彼が語る日本人の引き揚げの様子は、国後島ではなく、サハリンだったのではないか。

 ついでにもう一つ、気になったことがある。公式ウエブサイトでコズロフ監督はこう述べている。「撮影中に、クナシリで先の世界大戦の存在を確認した。錆びた装甲車の残骸と、草に覆われた戦車が島中に点在しているのだ。その一方で、1947年の日本人退去の痕跡は何もない。」(公式ウエブサイト「note」より) 

 公式ウエブサイトには、草に埋もれた戦車の砲台に触れる監督の写真が添えられているが、そもそも国後島にある戦車や装甲車は第二次大戦で使用されたものではなく、ソ連軍やロシア軍が戦後持ち込んだものの残骸だ。1945年9月1日にソ連軍が国後島に上陸した際に戦闘はなかったし、上陸したソ連軍が戦車を持ち込んだ事実もない。

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 冒頭の字幕に戻ろう。ソ連による「併合」は1945年とあるが、ソ連が「南サハリン州の設置に関するソ連邦最高会議幹部会令」により自国領に編入したのは1946年2月2日である。

 さらに、北方四島で暮らしていた日本人の強制退去が始まったのは「1945年の翌年」ではなく、1947年7月11日に函館に入港した引揚船「白竜」に乗った318人が最初である。

 「フィクションの部分は全くなく、すべてが時の記憶であり、実在の人物の考え方と感情だ」(コズロフ監督)というが、ドキュメンタリー制作の前提として、北方四島に関する基本的な事実関係はしっかり押さえておく必要があると思う。

 ドキュメンタリー映画「クナシリ」が伝える真実が、どうにも微妙なものに感じてしまうのは、北方四島を巡る様々な出来事や事実関係を十分理解していない人がつくったからではないか--。そんな疑念からきているのかもしれない。

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