北方領土の話題と最新事情

北方領土の今を伝えるニュースや島の最新事情などを紹介しています。

根室-国後陸揚庫と海底ケーブル

 国の登録有形文化財根室国後間海底電信線陸揚庫」で、10月に実施した発掘調査の結果、陸揚庫の内と外3カ所から海底ケーブルが確認された。いずれも流氷による断線を防ぐため外装(鎧装)鉄線を2重に巻き付けた「特殊浅海線」だったことが分かった。

f:id:moto-tomin2sei:20211130163607j:plain

 10月9日に行われた発掘調査では、陸揚庫内部のケーブルピット内と、海に面した北側壁直下の地中、そして、陸揚庫を保護するため海側に向かって約4メートル離れた場所に設けられた鉄筋コンクリート製の海岸擁壁直下の3カ所から海底ケーブルが発見された。

 ケーブルピットと北側壁面直下で見つかった海底ケーブルは同一のもので、ピットに掘られた穴から壁を貫いて外側に延びていた。

f:id:moto-tomin2sei:20211130160017j:plain

f:id:moto-tomin2sei:20211130154900j:plain

ケーブル・ピット内で見つかった海底ケーブル

f:id:moto-tomin2sei:20211130160250j:plain

北側壁面直下で確認された海底ケーブル

f:id:moto-tomin2sei:20211130160445j:plain
f:id:moto-tomin2sei:20211130160426j:plain

海岸擁壁(写真右)から発見された海底ケーブル

 ケーブルピットの壁穴から外側に出た海底ケーブルは、海岸方向には延びておらず、途中でなぜかU字型に曲がっていた。陸揚庫の雑草除去のため足場を組んでいたこともあり、掘り進めると足場が崩れる危険があったため、U字に曲がった海底ケーブルの先端がどうなっているのかは確認できなかった。

 鉄筋コンクリート製の海岸擁壁直下を数十センチ掘ったところ、擁壁には陸揚庫内のケーブルピットと同様に2つの穴があり、そのうちの1つから海底ケーブルが見つかり、そこで切断されていた。

 「北海道の電信電話史」(日本電信電話公社北海道電気通信局編1964年)によると、「南千島と本道との通信は、根室・紗那間の海底ケーブルと落石・紗那間の無線により行われていたが、20年8月28日のソ連択捉島上陸、留別郵便局の接収に始まり、9月8日紗那郵便局の接収によって完全に途絶してしまった。その後、根室・紗那間の海底ケーブルは、スパイあるいは赤化工作に利用されるおそれがあるとして、根室ケーブル庫の立ち上がりから切断し海中に棄却された」と記述されている。

 これまで、海底ケーブルがどこで切断されたのか場所を特定できなかったが、今回の発掘調査で海岸擁壁の直下から見つかった穴に残っていた海底ケーブルが、そこで切断されていたことから、「スパイ工作を恐れて切断」したのはこの場所ではないかと考えられる。

 根室--国後島間に海底ケーブルが敷設されたのは1900(明治33)年。「北海道電気通信線路史(下)」(山下精一、1964年)によると、9月29日に当時の根室村ハッタラ--泊村ケラムイ間に「2心入浅海線」を20.60浬(約38.2km)にわたり敷設したとの記録がある。「2心」とは心線(銅線)が2本入っているという意味である。

 それから99年後の1999年1月、ホタテ漁の邪魔になるとして根室港沖の海底から長さ1,500メートルのケーブルが引き上げられている。その一部が道立北方四島交流センターや根室市自然と歴史の資料館、納沙布岬の北方館、北方領土資料館に展示されているが、興味深いのは、同じ海底ケーブルなのに、外装の鉄線の数が12本と14本の2種類あること。つまり根室--国後間に敷設された海底ケーブルは1本だが、場所によって外装が12本の部分と14本の部分があるということだ。海底の状況に応じ、より保護が必要な場所に鉄線の数が多いケーブルを敷設したのではないか考えられる。

f:id:moto-tomin2sei:20211130161135j:plain
f:id:moto-tomin2sei:20211130161205j:plain

1999年に引き上げられた外装の鉄線が12本(左)と14本の海底ケーブル

f:id:moto-tomin2sei:20211130161455p:plain

 

 通信工学通俗叢書線路編第二巻「海底電線作業」(社団法人電信電話学会、昭和4年9月発行)によると、海底ケーブルの心線は7条の細い銅線を撚り合わせてつくる。これは同程度の太さの1本の銅線に比べて、柔軟性に富み折れ曲がりにくくなるからだ。この撚り合わせた銅線の上にガッタパーチャ(GP=マレーシア原産のアカテツ科の樹木や樹液から得られるゴム状の樹脂)またはゴムで覆って絶縁したものを撚り合わせ、それをジュートで包み、さらにその上から鉄線で外装を施して心線を保護している。

 海底ケーブルは海底の地質や海の深さ、波浪、潮流等の関係により、外装鉄線の構造が異なり、浅海線、中間線、深海線の3種類に大別される。

 浅海線は、岩場などでこすられて断線の危険が大きい浅い海などに敷設するもので、心線を保護するため外側を直径8ミリの鉄線で覆っている。

 特別に保護力を大きくする必要がある場所では直径4.5ミリ鉄線で外装した上に、さらに直径8ミリの鉄線をコイル状に巻き付けた特殊浅海線を使用する。

 中間線は、浅海線を用いる必要がない程度の場所で使用するもので、直径4.5ミリの鉄線を用いる。

 深さ約300メートルを超える所では、引き揚げや敷設作業に便利なように軽量で丈夫な深海線を使用するが、通常は2.9ミリの鉄線を用いて外装している。深海線の太さは約2センチくらいであるが、浅海線は5センチ以上に達する。

 1900年当時、根室--国後間に敷設されたのは浅海線とされていたが、発掘調査で陸揚庫のケーブルピットと北側壁面直下から出て来た海底ケーブルの外装は2重だった。心線を保護するための鉄線が12本、さらにその上から鉄線がコイル状に隙間なく巻き付けられていた。

f:id:moto-tomin2sei:20211130161817j:plain

長崎市の海底線史料館のケーブル(左)と根室-国後海底線陸揚庫で確認されたケーブル

 

 11月25日、根室--国後島間に海底ケーブルを敷設し、陸揚庫を造った旧逓信省の流れをくむ企業、NTTワールドエンジニアリングマリンの技術者らが陸揚庫と海底ケーブルを視察した。この際に、2重に外装された海底ケーブルは、同社が運営する「海底線史料館」(長崎市)に展示されている「アイリッシュ形特殊浅海線」と同じものであることが確認された。