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島に行かなくなった夫 積極的に足運ぶ妻 行動違えど心は一つ 故郷・北方領土それぞれの思い…②

 

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 北方領土元島民の2割近くが住む根室市国後島泊出身の普津沢公男さん(78)、色丹島民2世の真紀子さん(72)夫妻はともに島にルーツを持つ。(北海道新聞根室版2021.8.31)

 公男さんは島にいたころの記憶があまりない。泊の集落を東西に分けた泊川に近い大きな家で暮らしていた。1945年(昭和20年)に旧ソ連軍が侵攻したときは2歳だった。父はソ連兵との通訳係をしており、その前後の生活に大きな変化はなかったと聞いた。

 その後、一家は樺太経由で強制送還された。国後島を離れるとき「見送りに来たソ連兵が、ポケットいっぱいに砂糖を詰めてくれた」ことを覚えている。

 樺太から函館に上陸し、最終的に根室に移り住んだ。中学校を卒業するとクリーニング店に勤めた。同じ店で働いていたのが真紀子さんだった。

 真紀子さんは元島民2世であることを知らずに育った。親から聞かされることはなく、島にルーツがあると知ったのは約30年前。島で生まれた兄らが北方領土墓参に参加していたのを知ったからだ。

 結婚してから北方領土にゆかりがあることが分かったが、「根室の人間は島に関わりがある人がほとんどで、驚きはなかった」と2人は顔を見合わせる。

その後の2人の島への関わり方は対照的だ。

 公男さんは11年前に初めてビザなし渡航国後島を訪れた。故郷を思わせる建物は全くなく、外国に来てしまったかのような感覚になった。しかも生誕地の泊にはロシア当局の使節があり、立ち入りが制限されている。公男さんはこの5年ほど島を訪れていない。

 一方、真紀子さんは仕事が一段落した約10年前、色丹島への自由訪問に初めて参加した。「私は自分のことを知らなかった。行けるなら、島に行ってみたい」と考えたからだ。

 実家があったノトロ地区には何も残っていなかった。同行したきょうだいには「家は海の中だろう」と言われ、寂しく感じた。それでも地面には欠けた食器などが残り、人が暮らしていた跡があった。「日本人がいたんだな」と実感した。

 2018年までに計8回、色丹島を訪れた。同行した親族ら元島民からも当時の様子を聞き取っている。

 島を訪れたときの印象、その後の行動が異なる2人。でも、思いは一つだという。「せめて、自由に島を行き来したい。自分や家族のふるさとだから」(武藤里美)

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