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国後思う 七福神の絵 白糠の小川さん、島引き揚げで持ち出す「絶対に生家跡訪ねたい」

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 北方四島国後島出身の小川三郎さん(87)=白糠町=の自宅には、76年前の旧ソ連軍侵攻で島を引き揚げる際に持ち出した縁起物の七福神の絵が飾られている。「島の家にあったものはもうこれしか残っていない」。絵を見るたび、小川さんは故郷に思いを馳せる。(北海道新聞釧路根室版2021/8/24)

絵は縦約25㌢、横約50㌢。日本画風のタッチで、えびすなど七福神が描かれている。水産加工業やコンブ漁で生計を立てていた国後島留夜別村の実家では和室に飾っていた。小川さんが物心ついた時にはすでに家にあったといい「商売繁盛を願って飾ったのでは」と推測する。

ソ連軍 村に侵攻

 実家は18畳の部屋が四つあり「かくれんぼができるほど広かった」。ラジオがあり、従業員も住み込んでいた。国後島はタラ、オヒョウ、コンブなどがとれる「宝の島」。幼少期にはよくウニをとって遊んでいた。

 太平洋戦争が始まり、島の若い男は兵隊にとられ、2人の兄も軍隊に行った。11歳で1945年8月を迎「やつと戦争が終わった」と思ったのもつかの間、9月に突如ソ連軍が留夜別村に入ってきた。侵攻は全くの予想外。「何をされるか分からない」と近所に住むおばを迎えに行き、一緒に山に隠れた。

 「もう島にはいられない」。小川さん一家は親族ら総勢20人で漁船に乗り込み、根室に逃げた。七福神の絵は畳や掛け軸とともに、船に積んだ。引き揚げ後、豊かだった生活は一変。中学時代を過ごした釧路から汽車で北見に闇米の買い出しに何度も行った。

 57年ごろ、釧路から白糠に移り住み、自動車などのタイヤ販売業を始めた。親から譲り受けた七福神の絵は、71年に建てた自宅に飾っている。。仕事が忙しく、70年以上故郷の土は踏めなかったが、「毎日思い出していた」と話す。

荒れ果てた故郷

 故郷を離れてから、国後島を訪れたのは4年前の自由訪問の1回だけ。「道路があった場所は草がぼうぼう。涙も出なかった。戦争さえなければ島にも住み続けられたし、こんなに荒れ果てることもなかった」と憤る。実家があった場所も見つけられなかった。

 新型コロナウイルスの感染拡大で昨年から四島との渡航事業は行われていない。小川さんは「今でも島のことは夢に見る。できることならプレハブでも建てて住みたいくらい。絶対にまた島に上陸し、生家跡を訪ねたい」と願っている。(今井裕紀)

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