北方領土の話題と最新事情

北方領土の今を伝えるニュースや島の最新事情などを紹介しています。

道内に残るトーチカ群 「戦争遺跡」利活用へ議論を

f:id:moto-tomin2sei:20210517093907j:plain


 第2次世界大戦末期、旧日本陸軍が米軍の上陸に備えて造ったコンクリート製の防御陣地「トーチカ」。本土最東端の根室市ではこれまで15基が確認され、今も13基が現存する。戦争の歴史を伝える貴重な遺跡と言えるが、風化や工事で少しずつ姿を消している。研究者からはこれらを将来の世代に伝えるのは「今を生きる私たちの責任だ」との声が聞かれる。保存、利活用に向けた議論が急務だ。(北海道新聞2021/5/16)

 根室市昆布盛地区の海を見下ろす崖の上部に、銃眼とみられる穴が空いたコンクリートの壁が埋まっていた。今年4月、仕事の傍ら、トーチカを調べている東京都の会社員の調査に同行した。落石防止用の金網に覆われ、内部はうかがい知れないが、当時の史料などからトーチカの一部である可能性が高い。

 トーチカと確認されれば市内では約20年ぶり、16基目の発見となる。いまだに埋もれたままの「戦争遺跡」が身近にあることに驚くとともに、調査を継続する必要性を再認識した。

 トーチカは1944年(昭和19年)から45年にかけて、米軍の上陸を想定し、内部から敵兵を銃撃するために造られた。日本建築学会北海道支部の研究チームの調査によると、道内では東胆振以東の太平洋側と、根室半島から網走にかけてのオホーツク海側に少なくとも77基が残る。

 これまでの調査で、根室のトーチカは工法に誤りがあり、他地域に比べてコンクリートに含まれるセメントの量が少ないことが分かっている。人材も物資も足りなかった当時の窮状が見て取れる。

 根室のトーチカ群構築の指揮をした当時の陸軍大隊長の手記をひもとくと、昆布盛地区を含めて、まだ確認されていないトーチカがあるとみられる。北方領土にもトーチカのような建物が残っている。いっそう広範で詳細な調査ができれば、道東を一体として守りを固め、米軍と対峙(たいじ)しようとした旧日本軍の動きがより明確になるに違いない。

 だが、年月をへるごとにトーチカは姿を消している。根室市内では2007年と20年に漁港整備などのために各1基が取り壊された。風化して崩壊し、人知れずなくなるトーチカもあるという。

 トーチカはその性質上、海岸近くに立つため波や風で浸食されやすい。根室市歴史と自然の資料館の猪熊樹人(しげと)学芸員(45)は「劣化を食い止めるための工事をするにも、別の場所に移設するにも多額の経費がかかる」と指摘する。私有地に立地するものも多く、解体が決まれば止めることは難しいという。

 では、今できることは何か。まずは全てのトーチカの記録を詳細に残すことだ。日本建築学会北海道支部の研究チームは19年度から道内のトーチカを調査し、場所や写真などをまとめた台帳作りを進めている。引き続き調査を重ね、埋もれたままのトーチカにも光を当ててほしい。

 その上で、良好な状態で残るものの中から保存すべきトーチカを絞り込む。補強工事を施して現状を維持できれば、将来的にトーチカの価値が再評価された際に実物を使った検証が可能になる。

 草を刈って内部に堆積した土砂を取り除き、トーチカの歴史や意義を記した案内板を設置すれば、社会教育や観光にも生かせる。十勝管内大樹、広尾両町は町有林内の各1基をこうした形で保存しており、先行例と言える。

 他のトーチカは手を加えずに、随時確認する「見守り保存」にとどめることが考えられる。「見守り保存」については、研究チームの一員で釧路高専の西沢岳夫准教授(53)=建築歴史意匠=が「自然に風化させることで、戦争からの時間の経過が分かる遺跡にすることができる」と評価する。

 終戦から76年、戦争体験者も少なくなり、記憶の伝承はますます困難になっている。その記憶をとどめるトーチカを生かさない手はない。時間は限られている。道や国を巻き込んだ議論が必要だ。