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北方領土に旧日本軍の地下要塞か ロシア研究者が調査

 北方領土択捉島に残る飛行場や陣地など旧日本軍関係の施設について、ロシアの歴史家らによる調査が行われ、その概要をサハリン州のネットメディア「サハリン・インフォ」が報じた。北方領土のこうした施設は現在、日本側からの調査がきわめて難しく、貴重な記録となっている。(朝日新聞電子版2021/5/8)

Крепость Итуруп. 04.05.2021. Владимир Грышук. Weekly. Курильск. Сахалин.Инфо

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近くに旧日本軍の陸軍飛行場があった択捉島北部のトウロ沼=2020年9月、サハリン・インフォ提供

 旧日本軍施設などの概要をまとめたのは、サハリン州郷土博物館を拠点に、千島列島の日本関係の施設を長年調べてきたイーゴリ・サマリン氏ら。サマリン氏らは昨年9月から10月にかけ、真珠湾攻撃のため旧日本海軍が集結した単冠(ひとかっぷ)湾に残る旧天寧飛行場など、択捉島中部から北部の遺構の状況をまとめた。

一升瓶や皿の破片も

 調査によると、旧天寧飛行場の滑走路跡は、ロシア軍のプレベストニク飛行場の滑走路と並行して残されていた。飛行場近くの海岸地帯には、小型防御用陣地「トーチカ」が数十メートルの間隔でいくつも並んでおり、中には壁の厚さが4メートルのものもあった。旧日本軍のものと見られるが、一部は旧ソ連がつくった可能性もあるという。

 サマリン氏らは、島北部の別飛(べっとぶ)から北のオホーツク海沿いに残る旧日本陸軍の飛行場跡も調べた。トウロ沼近くにある飛行場の滑走路は縦5メートル、横4メートルのコンクリート床板を並べてつくられ、一升瓶や皿の破片といった軍部隊で使われた遺物も見つかった。

 活火山の硫黄岳を望む最北部太平洋側のトシルリ周辺の海岸には、旧日本軍の大規模な地下要塞(ようさい)とみられる遺構もあった。

 複雑な通路でトーチカや射撃の指揮所、倉庫などさまざまな施設が地下で結ばれていた。こうしたトーチカ群は太平洋戦争中、アリューシャン列島を経て進攻してくる米軍を主な対象に整備された。サマリン氏は、「千島列島では約110の要塞施設を見てきたが、トシルリのものは完全な地下都市といえる」としている。

 現在、ロシア軍の第18機関銃・砲兵師団の駐屯地がある島中部の瀬石温泉には、古い浴場施設の遺構があった。地上施設の下に、円形の浴槽などの地下施設が残されているが、日本人がつくったのか、戦後に旧ソ連が整備したのかどうかははっきりしない。

冷戦時の中ソ対立の名残

 温泉施設の近くには、神社で使う手水(ちょうず)石もあった。サマリン氏らは、別飛近くの紗万部(しゃまんべ)で数年前に見つかった、日本の缶詰工場で使われたボイラーなどの機械類や神社の跡なども、今回改めて調査した。

 別飛やトシルリなど島の各地の海岸線には、砲台を残して地中に埋もれた旧ソ連戦車の姿も見られた。サマリン氏らは「ブレジネフ書記長時代に中国との対立が激化し、クリル(千島)にも配備されたようだ」とみている。

 北方領土にある旧日本軍関係の遺構は、多くが外国人の立ち入りが制限されたロシア軍施設の近くや海岸などの境界地域にあり、日本側の調査はほとんど進んでいない。サマリン氏らによるロシア側の調査は貴重なものだが、旧日本軍にくわしい専門家らが参加しておらず、施設の役割や性格が十分に解明されないままのケースも多い。日本側には、ビザなし訪問での学術交流などを柔軟に運用し、旧日本軍関係も含め、日本関連の遺構についての日ロの共同研究を進めることを求める声も出ている。(大野正美)

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滑走路のコンクリート床板が残るトウロ沼近くの旧日本軍飛行場を調査するサマリン氏ら=2020年9月、択捉島、サハリン・インフォ提供

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択捉島北部トシルリ近くにある地下要塞(ようさい)のトーチカ銃眼を調べるサマリン氏ら=2020年9月、サハリン・インフォ提供

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択捉島北部トシルリ近くに残る地下要塞(ようさい)の一部。旧日本軍の倉庫に使われていたとみられる=2020年9月、サハリン・インフォ提供

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択捉島北部トシルリの地下要塞(ようさい)付近で見つかった旧日本軍の兵器の一部、砲弾用の台車だったらしい=2020年9月、サハリン・インフォ提供

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択捉島中部の瀬石温泉に残る浴場施設の地上部分。遠くに見えるのはロシア軍施設=2020年9月、サハリン・インフォ提供

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択捉島北部の紗万部にあった日本の缶詰工場で使われたボイラーなどの機械類=2020年10月、サハリン・インフォ提供

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択捉島北部の紗万部にある神社の跡。鳥居の位置がわかる=2020年10月、サハリン・インフォ提供

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トシルリの地下要塞(ようさい)付近の硫黄岳を望む草原で群れる馬。飼っていたロシア国境警備隊詰め所の撤退後、野生化したという=2020年9月、択捉島、サハリン・インフォ提供

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択捉島北部トシルリの旧日本軍の地下要塞(ようさい)近くで、砲台を出して埋められた旧ソ連軍の戦車。中ソ対立期の名残という=2020年9月

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択捉島北部トシルリの地下要塞(ようさい)の一部とみられるトーチカの銃眼=2020年9月、サハリン・インフォ提供

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択捉島北部トシルリにある旧日本軍の地下要塞(ようさい)内部=2020年9月、サハリン・インフォ提供

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旧日本軍の天寧飛行場近くに残るトーチカの内部。銃眼と機銃の木製台座が見える=2020年9月、択捉島、サハリン・インフォ提供