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兄弟船、幻の国後 北方領土への望郷描く別の歌詞、40年経て注目

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 北の荒々しい海で漁に生きる兄弟の姿を勇壮にうたった演歌「兄弟船」。発売から40年近くたっても根強い人気を持つこの曲には、実は別の歌詞があった。長い時を経て今、そんな秘話が注目を集めつつある。知られざる歌詞に秘められた思いとは。(朝日新聞2020/12/19)

 「兄弟船」は、星野哲郎作詞、船村徹作曲という演歌の大御所コンビの手で1982年につくられた。船村の内弟子で漁師出身の鳥羽一郎さん(68)のデビュー曲として同年8月に発売。海の男の一体感や心意気を生き生きと伝え、大ヒットした。

 大ヒットする1年前の81年。日刊スポーツ新聞北海道本社(現・北海道日刊スポーツ新聞社)がクラウンレコード(現・日本クラウン)と合同で「第2回北海道のうた歌詞募集」という企画を行った。この企画で佳作に選ばれた歌詞が「兄弟船」だった。

 作者は「木村まさゆき」。現在は札幌市に住む元運送会社員、木村正之さん(78)のペンネームだ。

 北海道標茶(しべちゃ)町の酪農農家の出身。19歳の時、運送会社に就職するため東京に出た。もともと歌の詞をつくるのが好きで、仕事のかたわら、「北海の満月」などを書いた作詞家、松井由利夫に指導を受けた。

 つくる詞は、「道東」と呼ばれる故郷の厳しい自然が主なモチーフだ。「北海道のうた」に応募した81年は東西冷戦のさなか。道東の海も、四島周辺水域での日本漁船の相次ぐ拿捕(だほ)などで騒然としていた。

 「そうした状況を新聞などで追ううち、北方領土の海と船を素材にすれば、切迫感のあるスケールの大きな詞が書けるのでは、と思ってつくりました」

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 木村さんの「兄弟船」にはそんな思いが強く込められている。たとえば1番の出だしで二つの歌詞を比較すると、現在の星野版が「波の谷間に 命の花が ふたつ並んで 咲いている」なのに対し、「はるか国後 船から見える 今日も兄貴と 網を引く」。さらに、3番の終わりを木村さんは「何年たてば あの国後に みんなそろって行けるだろうか きっとおやじもヨー 帰りたいだろな」とした。北方領土国後島への望郷の念を描いたものだ。

 「日刊スポーツ新聞北海道本社 30年史」などによると、木村さんの「兄弟船」には、船村が鳥羽さんのデビュー曲候補の一つとして曲をつけた。ただ、「拿捕などを連想させる。歌謡曲としてはどんなものか」といった意見が出て、「北海道のうた」の審査委員長でもあった星野が、現在の歌詞を改めて書いたという。

 鳥羽さんも時おり、コンサートやテレビ出演などで「海の歌で骨組みがしっかりしていると思った」という元の詞の「兄弟船」を歌い、このいきさつにも触れている。木村さんは「鳥羽さんが私の詞でも歌っていると聞き、びっくりです」。

 北方四島の元島民らもこの歌に関心を寄せる。

 元島民らでつくる千島歯舞諸島居住者連盟(千島連盟)副理事長で北海道根室市在住の河田弘登志さん(86)は、歯舞群島多楽島出身。かつて北方四島の周辺水域で北洋サケ・マス漁船に乗っていた。

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 「ひどいしけでは、船が大きな波から下る時、少しでも横にすべるとたちまち転覆する。『兄弟船』は、元の歌詞も、今の歌詞も、この地域の海が持つ緊張感をよく伝えている」

 河田さんによると、北方領土にまつわる歌は、いくつかあるものの、大ヒットにつながったものはない。「『兄弟船』を北方領土がらみで歌えれば、返還運動も元気が出るのでは」という。

 元の歌詞にある国後島の出身で、千島連盟根室支部長の宮谷内亮一さん(77)も同じ意見だ。

 領土問題をめぐるロシアとの交渉は停滞している。元島民の平均年齢も85歳を超え、若い世代への運動の継承が急務だ。「若い人に、歌などで領土問題を自然に意識してもらうことも重要だ。『兄弟船』のような歌の存在は大きい」

 鳥羽さんは「船村先生が好きだった北海道に弟子の私もよく同行した。『兄弟船』の風雪の世界も肌で知っている」という。さらに「元島民の皆さんが元気なうちに、領土問題が解決したらいいですね。ぜひ根室にもいつか行って歌いたい」と話している。(大野正美)

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※写真は北海道と千島連盟が主催して10月に実施した北方領土上空慰霊で撮影したものです。