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1945年8月18日 ソ連軍、占守島に上陸 165・171高地を奪取

8月18日未明、カムチャツカ防衛区軍とペトロパブロフスク海軍基地からなるソ連軍は占守島東海岸に上陸したが、計画通りにはいかなかった。ピョートル・シャトフ率いる先遣隊に続き、第1、第2梯団が国端崎と竹田岬の間の5kmの狭いビーチに上陸した。先遣隊は40分で上陸を完了、ほとんど損失はなかったが、上陸地点の確保を忘れ、そのまま島の奥地を目指した。戦闘の最初の数時間、日本兵アメリカ軍の空挺部隊が上陸してきたと思い、積極的な行動をとらなかった。ソ連艦船から艦砲射撃が始まって、単なる上陸ではなく攻撃であると気づいた。日本軍指揮官は第11戦車連隊のイケダ(池田)大佐にソ連上陸部隊を攻撃するため戦車隊の投入を命じたが、ソ連空挺部隊によって撃退された。ソ連兵は165高地(四嶺山)と171高地を攻撃し続けた。海岸では日本軍の砲撃を受けながら上陸が続いていた。カムチャツカ時間の14時ころ、第11戦車連隊主力による戦車攻撃が開始された。165高地(セヴェルナヤ山)の斜面でソ連兵は英雄的、頭脳的に戦った。彼らは小火器しか持たなかったが、戦車の下に地雷や手榴弾を投げつけ、命を犠牲にして、最大で戦車18車両を炎上させた。これにより、18日20時までに赤軍は165高地と171高地を奪取した。停戦交渉のために派遣された日本軍の最初軍使は、武装した兵士とみなされ、ソ連の司令部と交渉することはできなかった。8月19日夜、日本軍は再度軍使を送り、一部の部隊が降伏を始めた。※サハリン・クリル通信の「50度線からのリポート」(75年前にサハリンとクリル諸島を日本軍国主義者から解放し、第二次大戦を終わらせた一連の戦いを過去の日時と連動させて紹介するプロジェクト)から--。(サハリン・クリル通信2020/8/18)

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