北方領土の話題と最新事情

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1992年4月22日 ビザなし交流第1陣の四島ロシア人19人 根室・花咲港に上陸

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 ビザなし交流(北方四島交流)が始まったのは1992年(平成4年)のことでした。その第一陣となったのは北方四島在住のロシア人19人からなる訪問団でした。今年、29年目のシーズンを迎えるはずだったビザなし交流は、新型コロナウイルスの影響で5月から予定されていたすべての訪問、受入事業が止まったままですが、歴史的な第一回受け入れ事業と訪問事業について、当時の新聞記事で振り返ってみました。

 

北海新聞1992年4月22日夕刊

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  【根室北方領土からのビザ(査証)なし渡航の第一陣となる、北海道招待の訪問団(団長、ミハイル・テレシコ南クリール議会議長)の19人は22日午後1時10分、ロシアの貨客船「マリーナ・ツべターエワ号」(3,900トン)で、根室・花咲港岸壁に接岸、両国の新たな交流の一歩を踏み出した。この日の根室地方は朝のみぞれが、昼ごろには雨に変わり正午の気温は2度。あいにくの天気で一般市民の姿はまばらだったが、岸壁では道や根室市の職員と報道陣ら約500人が出迎えた。ビザなし渡航は昨年4月、来日した当時のゴルバチョフソ連大統領が提案。昨年10月、正式合意したが、旧ソ連の政変、崩壊などによる混乱で、実現が遅れていた。

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根室】戦後のほぼ半世紀、日本とロシア両国の不信が渦巻いていた海峡を越えて初のビザなし渡航が実現した。22日午後1時10分、北方領土からの隣人19人を乗せたロシアの貨客船「マリーナ・ツべターエワ」号(3,900トン)が接岸した根室・花咲港岸壁では来る顔、迎える顔にそれぞれの感慨が走った。冷たい雨が降り続く岸壁に、何かホッとするような空気が漂った。

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朝日新聞1992年4月22日夕刊

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 戦後47年、見えない壁に阻まれてきた国境の海に22日、初めて自由往来の道がついた。根室海峡はこの朝、白い霧に包まれた。みぞれが、昼には強い雨に変わった。ビザなし渡航の一行を迎えた花咲港では、道や根室市などの職員が受け入れ作業を進め、海上保安庁の巡視船が港の警戒に当たった。北方領土返還運動の最前線として日本・ソ連、その後の日本・ロシア両国関係の波間に揺れ動いてきた港町は、ビザなし渡航の始まりを様々に迎えた。

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 マリナ・ツべタエワ号は午後0時25分ごろ、もやの中の防波堤の向こうから、白い船体を見せた。カニを積んで花咲港に入港中のロシア船の船員らは、ナンバーのない中古車を積んで島へ帰る準備中だった。ある船員は「ビザなし渡航が始まるのは知っている。それがよいことかどうかは分からない」という。

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 低くたれこめる雨雲の中、右手に伴走する巡視船を従え白い船体を花咲港へ向けゆっくりと進むビザなし渡航第一陣を乗せたロシア船のマリナ・ツべタエワ号。突然取材機(朝日新聞社機「はやて」)に対し「ロシアから緊急周波数で、領空を出るなと無電が入っている」と自衛隊のレーダーサイトから注意が飛び込んだ。日ロ友好の時代とはいえまだまだ北方領土が遠いことを感じさせる。

 

読売新聞1992年4月22日夕刊

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 北方四島からの査証(ビザ)なし渡航第一陣が22日午後1時過ぎ、北海道根室市の花咲港に接岸した。旧ソ連とわが国が昨年10月に合意した北方四島との「ビザなし相互交流」に基づく最初の訪問団で、27日までの滞在中、道内の旧島民らとの懇談や札幌市などの視察が予定されている。四島との相互交流に道筋が付けられたことにより、島民の対日理解の深まりと、領土問題解決への環境づくりが期待される。北海道側からは来月11日、1週間の日程で約40人のビザなし渡航第一陣が訪問する。

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 ビザなし交流は、ゴルバチョフソ連大統領(当時)が昨年4月の訪日の際、ビザなしで日本人が北方領土を訪問する枠組みを提案したのがきっかけで実現した。日本政府は四島住民の日本訪問も同じ枠組みで行うよう逆提案し、昨年10月、日ソ(当時)外相間で最終合意した。

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 日本赤十字社は、一行が帰国する際、「マ」号に食料品を中心とする2,500万円相当の救援物資を積み込む準備を進めている。

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 北方四島と北海道の間に開けた希望の航路を通って22日午後、ロシア側島民の第一陣が北海道を訪れた。戦後47年間、冷戦の氷に閉ざされていた北の海峡。四島との査証(ビザ)なし交流に、旧島民2000人が住む根室市では、歓迎の小旗が商店街を埋め、四島が「近くて近い島」になる瞬間を見守った。

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 この日の根室地方は、正午現在で気温2.0度、雨模様で朝方は雪もちらつくあいにくの天気。第一陣を乗せた「マリナ・ツべタエワ」号は午後1時過ぎに白い船体を接岸。出迎えに集まった高校生のブラスバンドを含め200人ほどの市民がロシアの小旗を振り、横断幕を広げた。それにこたえるように船内からロシア人も手を振りながら姿を見せた。右翼の街宣車が押しかけ、騒音をまき散らす一幕もあった。日本漁船の拿捕が繰り返されてきた北方海域。「国境」の根室市に、旧ソ連人の立ち入りは原則的に禁じられていたため、根室と四島の住民は互いの顔を知ることがなかった。昨年のゴルバチョフ元大統領の初来日と前後して、根室市へのロシア人立ち入り規制が緩み、今回のビザなし交流の実現で直接対話の道筋が大きく開け、海峡の壁が崩れた。

 

毎日新聞1992年4月22日夕刊

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「お互いをもっと知る機会にしたい」「領土問題を考える第一歩とすべきだ」--。北方四島からのビザなし渡航第一陣が22日午後、来道した。旧島民らが一部自由引き揚げ者を除き強制送還された1947年(昭和22年)以来、初めて実現することになった直接交流。関係者の間では、領土問題解決へのステップにしたいと、期待感が高まっている。

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 根室支庁総務課北方領土対策係では、職員が午前7半ごろ出勤。職員らが昼休み時間などを利用して作った日本、ロシア両国の小旗(縦20㎝、横30㎝)1200本を段ボール箱に詰め、ロシア語、日本語で書かれた「ようこそ北海道へ」という横断幕も用意した。

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 根室市役所では午前8時半、業者に発注した歓迎看板(縦90㎝、横7.2m)を掲示した。ロシア語を青、日本語を緑で統一し「ロシアのみなさんようこそ根室へ」という文書。市役所前庭には、歓迎の意を込めたロシア国旗も掲揚され、道行く市民に新たな歴史の第一歩を告げた。

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 心配されていた右翼団体については、20日から21日にかけて道内の団体が街宣車3台、22日も午前11時ごろから1台が市内を走り回りながらスピーカーでテープを流した。入港時には、花咲港を見下ろす小さな丘の上に数台が集まり「ビザなし渡航反対」などとスピーカーのボリュームをいっぱいに上げていたが、船が接岸すると静かになった。