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試行錯誤8年、猪谷式手編み靴下が古丹消で完成 酷寒の2月でも一足で間に合う

北方領土遺産
国後島のまれびと--猪谷六合雄の流儀③

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写真 「猪谷六合雄スタイル-生きる力、つくる力」より


    猪谷六合雄さんがスキージャンプを始めるようになって困ったのが靴下だった。スキー用の靴下などあるはずもなく、市販の靴下を5足重ね履きしていたが、すぐに穴があいた。ないものは自分でつくる。これが猪谷さんの流儀。暇さえあれば大の男が編み物に没頭し、体格に合った目数や寸法の表をつくり始めた。
 著書「雪に生きる」の中に、当時の苦労話が紹介されている。(以下、要約)
「やってみると、やればやるほど難しくなる。本島の目数と、同じだけの数の目のある図を描いたり、算盤を前に置いて、一目編むことに玉を一つ動かしたり、夜遅くまで編み続け、胸が悪くなって吐きそうになることも幾度もあった。同じ踵を編んだり、毀したり17回続けたら、毛糸がダメになったこともある。ほぼこれでいいかと思って履いてみると、踵の形が崩れ、洗濯すると足に合わなくなった」
「旅行中の汽車や船の中で、便所の中でも、暇さえあれば編んでいた。自分の足だけでなく、友人の足の寸法を図り、こしらえては送りつけ、乱暴に履いてもらって穴があくと送り返してもらって参考にした。使用する糸によって、縮む割合を想定して、あらましの表をつくり、三回洗濯してから本当足に合うように編むことにした。
「そして、2月の酷寒の時のスキーでも一足だけ履けば間に合うようになった。目の取り方も、図の描き方も婦人雑誌に出てくるものとは違っている。しかし、規則的なものだから、図の見方を飲み込んでしまえば、あとは図によって足の大小、編む針の太い細い、糸の多い少ないのも、表の通りにしていきさえすれば誰の足にでも、ぴったり合ったものが出来るはずたと思う」

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 試行錯誤を重ねること8年。古丹消に移住した翌年1930年の春に完成を見た。スキーを習いにきていた娘さん、奥さんたちに靴下の編み方を教えた。毎夜習いに来た人もいた。「当時18歳くらいの文ちゃんは結局、一冬、小屋で暮らした。伊東さん(古丹消に初めて来たときに泊まった温泉旅館の主人)の細君の末の妹、大柄で気立ての優しい、きれいな娘さんだった」と猪谷さんは書いている。この文ちゃんの写真が残っている。猪谷さんが撮影したものだが、子息の千春さんと、スキーを習いに来ていた村の女性たちが写っている。健在であれば、108歳ぐらいになっているはずだ。

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写真 右から2人目の大柄な女性が文ちゃん(「雪に生きる」より

 後に「猪谷式」と呼ばれる靴下は、古丹消で完成してから80年後の2010年、「暮らしの手帖」(2010年4月号)で「猪谷さんの靴下」として紹介され、ソックニッターの間でちょっとしたブームになり、いまも猪谷式の手編み靴下にチャレンジする人も少なくない。

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 写真 猪谷式靴下(「猪谷六合雄スタイル-生きる力、つくる力」より)