北方領土の話題と最新事情

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私たちが兵士を見つけるのではない。彼らが私たちを見つけるのだ。

❐サハリンの話題

 サハリン・インフォ2019/12/2

https://skr.su/news/post/130209/

戦死した兵士の正義や名誉を顕彰するため、遺骨収集を行っているロシア捜索運動のサハリン支部長アルテム・バンドゥーラ氏に話を聞いた。ユジノサハリンスクにある支部事務所は2階建てで1階部分に博物館を開設している。展示物は遺骨収集の中で発見したものだ。テーマは1945年8月の日本との戦争である。

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全国で1,000チーム、42,000人が活動

●…全国組織の捜索運動は1988年に全国で個別に活動していた遺骨収集団体のボランティア、学校やコムソモールが結集して誕生した。2013年にすべての捜索運動団体の活動を調整する全国組織として「ロシア捜索運動」が設立された。国内に数十の支部があり、42,000人を超えるボランティアがいる。ロシア連邦の82ある構成主体に1,000を超えるチームが活動している。

日本との戦いで戦死した兵士を探す

●…サハリン支部は1905年と1945年の日本との戦争で死んだ兵士の偉業を忘れさせないために遺骨収集を行っている。今年は5月から11月までスミルヌイフ地区で活動し、ロシア兵と日本兵の遺体と遺品を掘り出した。メンバーの1人が10月下旬にロシア兵の遺体を見つけた。取っ手にイニシャルが入ったカミソリや軍靴が見つかった。遺体の右肩と左大腿骨がひどく損傷していた。砲弾を受けた結果だった。同行していた人類学者は33歳から35歳と推定した。しかし、死者・行方不明者リストに彼の名前はなかった。彼がだれであるのか特定はできていないが、親戚を探す作業を続け来年には埋葬する。

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サハリン州政府が活動資金提供

●…今年も6月から9月にシュムシュ島(占守島)で遺骨収集を行った。1945年8月に日本軍との戦闘が行われた場所だ。今回で6回目の調査だった。シュムシュ島の調査には多額資金が必要となるが、サハリン州政府がサポートしてくれている。島で使用する車から機材、食料などをコンテナで輸送するのは大変だ。ウラジオストクを経由してカムチャツカへ飛び、そこから島に渡る。数日間天候待ちすることも普通だ。

占守島では6回の調査で95人を発見

…しかし、支援のおかげで2014年以降、6回の調査でロシア兵95人と日本兵50人の遺体を発見した。2016年の調査は最も過酷だった。6月から7月末までひどい天気で、土砂降りが続いき、この時はロシア兵3人、日本兵12人しか見つけられなかった。逆に、2017年の調査では2週間半の調査でロシア兵47人、日本兵3人を探し出した。1カ所から23人が見つかったこともある。シュムシュ島で見つかった遺体は北クリル地区行政府に管理が移される。隣の島のパラムシル島に戦争記念館が開設されており、そこへ移される。日本兵の遺体は日本政府に引き渡され、火葬した後、遺灰を持ち帰えってもらう。

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ボランティアだが、専門訓練も

●…2014年からは国防省との調整が義務化された。前年のレポートと次の年の計画を提供し、調査地域、調査要員、使用する機材などを示す必要がある。この活動でアマチュアの甘えは許されない。遺体や遺留品を慎重に発掘、収集するためには宝石商のような慎重さが必要だ。作業に当たる人々は特定の知識とスキルを持っている。探知、発掘、収容…そのための訓練やセミナーを受けている。そして、専門家が付き添い、作業はビデオで記録される。

困難な身元特定「声のない人々」

●…この調査で最悪なことは、地下に埋もれた何百人もの兵士が匿名化されていることだ。「声のない人々」--。シュムシュで95人が見つかったが、名前を特定できたのは9人だけだ。2017年にシュムシュで見つけた47人のロシア兵のうち3人はアルタイ、チェリャビンスクノヴゴロドの出身で、親戚も分かった。3人の遺体はサハリンに運ばれ、文書を作成し、棺を用意した。遺体は親戚によってそれぞれの故郷に埋葬された。私たちは、遺体ととともに発見したスプーンやガラスの容器、櫛などを引き渡した。クリル上陸作戦の歴史や戦場の写真が掲載された小冊子を添えている。

占守島にはまだ数百体が眠っている

●…シュムシュ島にはまだ発見されていない遺体が数百体はある。私たちは彼らを見つけなければならない。それには多額の費用かかかるが、サハリン州政府が資金を提供してくれている。そして私たちはボランティアだ。私たちの願いはシュムシュ島を戦争の野外博物館にすることだ。ロシア兵が直面した困難な戦い、日本軍の広範な防衛ネットワークを明らかにしていきたい。

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100年たつと考古学、捜索運動は手を出せない

●…もう一つの希望は1904年--1905年の日露戦争で死んだ兵士を探すことだ。残念ながら、100年という時間枠を超えているため、法律によって考古学者のみがこの戦いの場所で働くことが許される。私たちには調査の権限がない。これまでの資料調査の結果、この戦争で私たちの土地で数百人が死亡し、埋葬されるのを待っている。ウラジミロフカ(旧豊原)では自警団員と民間人が日本人によって殺害された。

最後の兵士が埋葬されるまで、戦争は終わらない

●…私たちは日露戦争で死んだ兵士の調査についてロシア下院に問題提起したが、解決策はいまのところない。ナチスドイツを打ち破った大祖国戦争もやがて100年が経過すると、考古学の手に移ってしまうのか。最後の兵士が埋葬されるまで、戦争は終わらない。

私たちにとって日本兵、それは同じ人間

●…私たちは特に日本兵を探しているわけではないが、日本兵を発見した場合は遺留品も含めて収集し、説明が出来るようしている。日本兵の場合は認識票があったり、名前が入ったものが残されていることが多い。今年、シュムシュ島で発見した日本兵のそばに名前入りのヘルメットも出てきた。しかし、その後の調査でヘルメットは発見した遺体のものではなかったことが分かった。たくさんの日本兵を見つけたが、私たちにとって日本兵、それは同じ人間ということだ。

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