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北方領土遺産『クリル探検。ネガと文書...1946』…②

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「1946年のクリル」 (サハリン・インフォ2016/2/10より)

●…戦後の1945年から1955年までのクリル(※北方四島)の生活はベールに包まれている。この当時、開拓のためにソ連人がクリルにやってきた。彼らの仕事ぶりや生活ぶりには、分からないことが多いが、クリルの歴史の空白が徐々に埋まり始めている。 2015年に貴重な写真集「千の島を巡る1946 年のクリル探検」が世に出た。写真集は2015年9月にユジノサハリンスクで開かれた第2回国際学術会議「第二次世界大戦の教訓と現代」で紹介された。

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●…出版したのはサハリン州古文書局、サハリン州国家歴史古文書館、全国市民組織「ロシア地理学会」沿海地方支部、アムール地方調査会だ。中でもサハリン州古文書局主任顧問で、歴史学者のマリーナ・グリデャエワ氏の功績が大きい。グリデャエワ氏はウラジオストクへの出張で極めて珍しい写真と、ネガに書かれた鉛筆 書きのコメントを偶然発見した。

(以下、グリデャエワ氏のインタビュー要約)

●…私は沿海地方で生まれた。1992年にサハリン出身の夫と共にサハリンに移った。極東国立大学の歴史学科を修了した直後だった。卒業後すぐに国家古文書館に就職した。他の地域から仕事のオファーが何度もあったが、サハリンでの生活にすっかり馴染んでいる。大学時代から古文書関係の仕事が好きだった。ウラジオストク古文書館にいたことがある。

●…5年前、アムール地方調査会(ウラジオストク)の古文書を調べていた。クリルのことを調べていたわけではなかった。目録を見ていたら、たまたま「クリル探検。ネガと文書...1946年」という資料を見つけた。戦後のこの時期はほとんど知られておらず、大変興味が湧いた。公的文書はあるが、そういう物には国の視点しか書かれていない。「クリルの資料は箱に入った70本以上のネガフィルムだった。1本のフィルムは5~6つに分割された状態だった。写真を見たときには感動した。しかし8本のフィルムはフィルム同士がくっついてしまい見られなかった。見ることが可能だったのは、クリルについてが53本(写真1883枚)、サハリンが約20本だった。

●…当時、私は第2次世界大戦直後にクリルで3つの調査隊が活動していたことを知っていた。1つは軍の地形測量者からなり、地理的名称の変更作業を行った。2つ目は水路測量の専門家からなり、太平洋およびクリルとサハリンの沿岸部を調査した。3つ目はソ連科学アカデミーとロシア地理学会からなっていた。

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●…発見されたすべての資料はロシア地理学会に帰属することが分かった。イワン・ステパ ノビッチ・クワチ氏という写真家がいた。沿海地方生まれだった。私は必死に調査隊とそのメンバーなどの情報収集を始めた。写真家は調査団に最初から最後まで同行し、調査の成果として古文書館に写真のフィルムを預けていたようだ。クワチ氏は報告書用の写真だけでなく、機会があれば面白い瞬間 を写真に収めた。当時、クリルにはロシア人だけでなく、日本人も暮らしていた。日本人の数ははるかに多かった。

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●…写真のほかメモ帳もあった。そこにクワチ氏は各撮影のコメントを残した。クワチ氏は時にテントで、時に岩で、あるいは膝の上でメモを書いたようだ。そのため一部判読できなかった。このほか他の調査隊参加者の日記帳、スケッチブック、地図、報告書も見つかった。また、ノートには島で見た物への個人的な感想も記されていた。火山を登ったこと、海獣 を見たこと、移住者との会話。歴史家である私にはこうした記録はとても貴重だ。ただしパラムシル島についてはこうした記録がないため写真のみの紹介に留まった。

●…その後、サハリン州古文書館とアムール地方調査会の間で共同出版事業を行うことになった。事業資金はサハリン州政府が出した。発行部数はたった500部で、主に図書館とクリルを研究する人の手に渡った。今後はサハリン南部を撮ったクワチ氏の写真を出版する計画だ。また「千の島を巡る1946年のクリル探検」の再発行もあり得る。実は、サンクトペテルブルグの古文書館でこの調査隊に関する資料や、その他のクリル 調査団の資料を見つけた。することはまだたくさんある。出版後に私はクワチ氏の息子と連絡を取った。彼はウラジオストクに住んでいて、父親である写真家クワチ氏について多くのことを教えてくれた。それを元に新たな本を出せたらと思っている。