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「魯西亜」から「露西亜」に変わったワケは?

〇…戦前、日本では外国の名称を漢字で表していた。ロシアの場合は「露西亜」であるが、江戸中期には「俄羅斯」(らしあ)、「峩羅斯」(おろしあ)、「魯斉亜」(ろしあ)などの表記が混在する。江戸末期になると、「魯西亜」が優勢になっていくが、その代表例が日本とロシアの国境を話し合いで確定した1855年の「日魯通好条約」で、その条文では「魯西亜国」と書かれていた。

〇…1875(明治8)年5月7日調印の「樺太千島交換条約」はどうか。条文の中では「魯西亜」となったままだが、調印後のロシア側とのやり取りなどを記録した公文書や1875年11月10日の条約公布文書では「露西亜」という表記に変わっている。

〇…なぜ「魯」から「露」に変わったのだろう。その理由や時期について書かれた文書が外務省に残っている。「魯国の『魯』の字を改めることについては、明治7年(1874年)7月頃、公使館から魯は魯鈍の熟字であることからこの字を嫌ったと聞いている。交際上、先方が喜ばないことは改める方がいいだろうとのことで、それ以降「露」を用いるようになった。わざわざ両国で書面をやり取りするまでもないことなので、何月何日から改正したとの記録はない」(各国国名及地名称呼関係雑件)とある。

〇…「魯鈍」とは、愚かで頭の働きが鈍いという意味であり、これにロシア公使館が抗議して、その後「露」に変わっていったわけだ。抗議の時期は「樺太千島交換条約」が調印される10カ月前のことだが、条文の表記には間に合わなかったのか、反映されなかった。

〇…「露西亜」の表記はロシア側の文書に先に登場していることから、「露」の字を選んだのはロシア側と考えられる。それは、日本語で「露=つゆ」は「はかなく消える」といった負のイメージがあるが、ロシア語では「さわやか」、「輝かしい」というプラスの響きがあるからだという。

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1855年の「日魯通好条約」の条文では「魯西亜国」

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1875年「樺太千島交換条約」の布告を上申した公文書では「露西亜」に変更

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1875年11月10日太政官布告の「樺太千島交換条約」条文は「魯西亜国」のまま