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北方領土遺産『千島電信回線陸揚庫』…⑤日本最古のRC構造物?!

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根室市ハッタリの陸揚庫から、晴れた日には国後島の泊山が見える

〇…根室市ハッタリの千島電信回線陸揚庫はオールRC(鉄筋コンクリート)造りの建物である。建設時期を裏付ける資料は見つかっていないが、1900年(明治33年)の電信線敷設と合わせて建てられたものと推定されている。凍結と融解を繰り返す積雪寒冷地。容赦なく波しぶきが襲うオホーツク海から12mの立地。多発する地震…ところどころ外側のモルタルやコンクリートが剥がれ、鉄筋がむき出しになっているところもあるが、根室の過酷な環境の中で、よくもちこたえているものだと思う。

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〇…1999年に劣化の程度を調査した北見工業大学の専門家は「耐凍害性を保つAE剤が開発される以前のコンクリートであるが、現況の劣化程度で収まっているのは、建設時にコンクリートに対するセメントや骨材等の適切な材料選定と混練と打設、そしてモルタルの塗布を慎重に施工したものと推定される。仕上げ材としての外壁モルタルの耐久性が優れていたことが、躯体コンクリートの品質を長期にわたり保った要因と思われる」と結論した。材料の適切な選択と確かな技術、丁寧な仕事ぶり…陸揚庫建設にあたり、いったい誰が鉄筋コンクリート造りとすることを決めたのか。実際に施工したのは誰なのか。興味は尽きない。

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本河内低部ダム放水路橋(左)と琵琶湖第一疏水第11号橋

〇…鉄筋コンクリートの歴史はたかだか百数十年である。19世紀半ばフランスで発案され、日本に入ってきたのは明治20年代後半と言われる。日本最初の鉄筋コンクリート造りの構造物は橋だそうだ。本邦初を名乗る橋は長崎市の本河内低部ダム放水路橋、京都にある琵琶湖第一疏水第11号橋など複数あるが、いずれも1903年(明治36年)に造られている。

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佐世保海軍工廠(左)   旧三井物産横浜支店1号館(真ん中)   軍艦島30号棟(右)

〇…建築物ではどうかというと、1905(明治38)年に佐世保海軍工廠内に建設された第1烹炊場・潜水器具庫が最初とされている。オフィスビルでは、1911年(明44年)に横浜に建てられた旧三井物産横浜支店1号館、集合住宅で最も古いものは、長崎県軍艦島に残っている30号棟と呼ばれる7階建ての建物で1916年(大正5年)の竣工。

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〇…ということは、千島電信回線陸揚庫が1900年(明治33年)に建てられたことが何らかの資料で確認できれば、この建物が日本で最初の鉄筋コンクリート構造物となるわけだ。いやいや前回のブログで紹介した石垣島の陸揚施設「電信屋」は、1897年(明治30年)竣工で柱と屋根部分が鉄筋コンクリート造りだったから、あちらが一番ということか。いやまて、あっちは柱と屋根の一部だけで、オールRCとなれば根室の陸揚庫だろう。とらぬ狸の何とやら…いずれにしても、戦前、根室から国後島を経由して択捉島まで電信回線でつないでいた歴史的な通信施設は、ひょつとしたら建築の分野でも歴史的なものなのかもしれない。