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北方領土遺産『千島電信回線陸揚庫』…④立派な門構え

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標津、根室、そして石垣島…3つの陸揚庫

〇…標津の陸揚室と同じ1897年(明治30年)に建設された陸揚施設が沖縄県石垣島に残っている。海底電信陸揚室、通称「電信屋」は鹿児島-沖縄-石垣-台湾を海底ケーブルでつないだ施設の一つだ。「電信屋」は柱と屋根部分が鉄筋コンクリートで、壁面と内部の隔壁は表面がモルタル、内部はレンガ積みだった。

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石垣島の「電信屋」

 

〇…北見工業大学の研究チームが根室石垣島の2つの陸揚施設を調査し、根室の陸揚庫の建設年代の推定をしている。「石垣島の施設は躯体壁面や室内の隔壁は表面がモルタルで内部がレンガ造りであるが、柱や屋根は鉄筋コンクリート部材であるため、これらの構造形式や平面構造から比較推定すると根室の陸揚庫も同様に1900年(明治33年)のケーブル敷設時に施工されたものと考えられる」(平成13年度土木学会北海道支部論文報告集58号)と結論づけている。

〇…千島電信回線の根室側の最初の陸揚地となった標津の陸揚室は、レンガ積みで一辺の長さが4mの方形で、高さは2.65mだった。地下部分が2.5m掘りこまれていた。陸揚室の基盤は10㎝ほど砂利を敷いた上に、5㎝の厚さでコンクリートを流し込み、さらにその上にレンガを一段敷き詰めていた。レンガを積み上げた壁は厚さ40㎝あったが、積み方が不規則なことから専門の職人の仕事ではないと考えられている。壁の内部は化粧セメントが塗られていた。門柱はなく、犬走りにレンガが敷き詰められていた。(しべつの自然・歴史・文化第5号)

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標津の陸揚室

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〇…一方、根室ハッタリの陸揚庫が海底ケーブルの敷設と同時に1900年(明治33年)に建てられたとすれば、それは標津の陸揚庫からわずか3年後である。サイズは間口3.84m、奥行き5.9m、高さ3.74mある。こちらは、壁はもちろん屋根から庇に至るまですべて鉄筋コンクリート造りである。壁のコンクリートは30㎝の厚さがあり、外側はモルタル、内側は結露防止のため漆喰が塗られていた。入り口には立派な一対の門柱がある。波打ち際からわずか12mしか離れていないため、鉄筋コンクリートモルタルを塗った海岸擁壁で守られている。

〇…建築年がわずか3年違うだけで、工法、仕様、施設の構えがこれほどまで異なるのはなぜだろうか。本道と南千島国後島択捉島をつなぐ初めての電信施設という点では同じ位置づけの施設だった。戦後間もなく、島から根室に引き揚げた元島民は「子供のころよくハッタリの陸揚庫で遊んでいたが、門構えが立派で、柵で囲われていた。よっぽど大事な施設だったんだろうな、と思っていた」という。

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根室ハッタリ陸揚庫

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鉄筋コンクリートの海岸擁壁(左)と陸揚庫内部(右)