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北方領土遺産「セルツェ-心 遥かなるエトロフを抱いて」

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北方領土遺産「セルツェ-心 遥かなるエトロフを抱いて」

 ~択捉島元島民・山本昭平さんの体験~

 

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 1945年7月14日。根室空襲に遭遇し、父親を亡くした山本少年は幼い妹の手を引いて、命からがらふるさと択捉島の蘂取にたどり着く。そこで待ち受けていたものは……ソ連軍侵攻だった。アメリカ軍に父親を殺され、ソ連軍にふるさとの島を奪われた少年の軌跡。忘れてはいけない物語が、ここにある。

(2017年7月2日に開催した山本さんの講演会パンフより)

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択捉島上陸作戦に使用された米海軍の掃海艇      根室空襲

 

 択捉島蘂取村出身の山本昭平さん(90歳)=埼玉県在住=の稀有な体験が本になった。ロシア語通訳の不破理江さん=神奈川県在住=が聞き書きした。2016年に不破さんが自費出版で70部を印刷したが、すぐにはけて入手困難になっていた。

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「セルツェ」はロシア語で「心」。ソ連占領下、自宅に同居することになったソ連軍医ドクトルが好きだった歌。山本さんは蓄音機から流れる「セルツェ」を一緒に聴いた。

 

 山本さんに初めてお会いしたのは2016年8月、北方墓参で択捉島蘂取を訪ねた時だった。山本さんは当時88歳で墓参団の団長を務めていた。私は墓参を主催する北海道庁からの同行責任者という立場だった。

択捉島までは長い船旅。船中で、山本さんから戦前の暮らしぶりやご家族のこと、ソ連軍上陸後に始まった占領下での生活、そして引き揚げのことなどいろいろなお話を伺った。それは、驚きだった。70年も80年も前の出来事がまるで昨日のことのように鮮やかに語られる。壮絶な体験と驚異的な記憶力、語り口はあくまで穏やかだった。語られる言葉は映像となって聞く者の記憶に焼き付けられる。それらすべてに驚嘆した。

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 山本さんは語り部として主に本州で活動している。ぜひ根室の人にも聞いてほしいと思い、根室振興局が取り組む北方領土遺産発掘・継承事業の一環として、山本さんと不破さんをお招きして講演会と写真展を開催した。2017年7月2日だった。

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 山本さんの語り部を何度か聞いた。決まって同じ場面で涙があふれてくる。1947年8月30日。蘂取村の約半数にあたる138人38世帯に引き揚げ命令が下る。島民は9月4日、トッカリモイの浜から発動機船に乗った。置いていくしかない飼い犬たちが浜辺を行ったり来たりしていた。

 「犬は別れるのを分かっていたんでしょうね。浜辺を行ったり来たりしているのですが、船がどんどん離れていくと、そのうちの一匹が思い切って海に飛び込んで、追ってくるんです。すると次々にほかの犬も続いて海に飛び込んで、飼い主のところに必死でついて来ようとするのです。機関士はそれを振り切ろうとスピードを上げるのですが、悔しくて、無念で今まで我慢していたのをこらえ切れず、みんな大声をあげて泣き出しました。その声と発動機船のエンジンの音がトッカリモイ崎の崖に、うわーんと反響して何とも言えない音をたてていました」(「セツルェ-心」より)

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 それから69年たった2016年8月の北方墓参。波が高くいつもの上陸地点に船をつけられず、上陸可能な場所を探して、やっと上がったのがトッカリモイ崎の浜だった。ソ連の引き揚げ船に乗るためにふるさとに別れを告げた浜に、山本さんは立っていた。

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