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北方領土遺産:映画「生命の冠」…④野田工場長が撮影した国後島ロケ写真

 2015年10月24日に根室市内で開かれた「生命の冠」上映会がきっかけで、国後島ロケの様子を納めた貴重なアルバムが見つかった。

 国後島にロケを敢行した撮影スタッフと俳優陣の世話をしたのは、当時碓氷缶詰古釜布工場の工場長を務めていた野田貞蔵さん(昭和36年死去)だった。野田工場長の孫にあたる根室市在住の女性が上映会に参加していた。

母が高齢となり身の回りの整理をしていたら、アルバムが出てきた。処分しようと考えていたが、映画『生命の冠』の上映会があることを知り、見に行ったことがきっかけで、当時の国後の記録として役立てばと考え直し、寄贈することにした」

  写真が趣味だった野田工場長は映画撮影のため国後島に渡ってきたロケ隊の世話をしながら、映画撮影の様子や撮影の合間の俳優陣の和やかな表情、そしてエキストラ出演した女工さんたちと親しくふれあう様子などを写真に収めていた。

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写真左側:野田工場長と愛犬。写真右側:これまで諸説あった国後島での撮影日程も記載されており、役者が揃ってからのロケは4月13日から同21日まで9日間だったこと、さらには内田監督以下撮影スタッフは総勢14人(うち俳優3人)で、全員の役割、氏名が書かれているなど、資料的な面でも価値がある。

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写真左側:身を乗り出してカメラをのぞく内田吐夢監督と脚本を手がけた八木保太郎

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写真左側:俳優・井染に女工節を教える野田みつよさん(野田工場長の奥様)

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写真左側:エキストラ出演した女工さんたち。アルバムには写真説明が付され、撮影場所や氏名が記されている。

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映画に登場する大きなタラバガニを担ぐ二人の少年。野田工場長のアルバムには「体ヨリ大キイ蟹 比ベテ見タマイ 谷内要之助、長谷川賢二郎」という説明書きが残っている。上映会の後、「長谷川賢二郎」さん本人が名乗り出て、後ろの担ぎ手は根室市在住の長谷川源次郎さん(91歳)と判明した。当時は古釜布尋常高等小3年生(9歳)で、相棒は谷内与之助さん(当時9歳)だと語った。

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 ロケ隊一行が宿泊した国後島・古釜布にあった沢崎旅館の沢崎文二さんの手記によると、当時デビューしたての原節子は、船酔いがひどく、根室まで来たものの、国後島には渡らなかった、という。国後島ロケでの原節子の代役に選ばれたのが「新家サダ子」という女工さん。きれいに着飾って、ポーズをとり、まるで映画スターのブロマイドのようである。