北方領土の話題と最新事情

北方領土の今を伝えるニュースや島の最新事情などを紹介しています。

「生活の証し消え、とにかく悲しい」択捉の暮らし伝える校舎焼失 日ソの子どもが使用 学籍・お経に写し持ち帰る 1938年建設の旧国民学校 惜しむ声

北方領土択捉島の中心地・紗那(しゃな)(ロシア名・クリリスク)で、第2次世界大戦前の1938(昭和13)年に日本人の手で建設された旧紗那国民学校の建物が焼けた。北方領土を実効支配するロシア・サハリン州などのメディアが伝えた。旧ソ連軍による択捉島占領後の一時期、日本とソ連の子どもたちが同じ校舎で学び、校長が在校生名簿をひそかにお経に筆写して本土に持ち帰るなど、北方領土に暮らした日本人の記憶を伝える貴重な歴史的建築物だっただけに、焼失を惜しむ声が強く出ている。(朝日新聞北海道版2023/2/4前根室支局長・大野正美)

 

根室国後陸揚庫 高まる保存の声 元島民ら「歴史・領土問題継承を」

北方領土の日」の7日、四島の返還を訴える集会が根室市や東京都内で開かれる。日露間の領土交渉が途絶える中、旧ソ連に不法に占領されるまで島との通信拠点だった歴史的建造物の保存と活用を求める声が強まっている。元島民らは「本土に残る貴重な施設で、返還運動と歴史の記憶の継承を」と訴える。(読売新聞北海道版2023/2/6 石原健治)

 

国後島を祖父が語り、父が守り、僕がつなぐ 根室の高3「北方領土の日」東京で訴え

 【根室】3世代にわたって北方領土と向き合う一家が、根室市にいる。国後島出身の久保幸雄さん(87)は8歳で視力を失ったが、記憶に残る故郷の姿を語り伝えてきた。その思いに応えるように、息子の浩昭さん(55)は北方領土に関わる歴史的建築物の保存に奮闘し、根室高3年の孫の歩夢さん(17)は北方領土問題を全国に伝える活動に力を入れる。「北方領土の日」の7日、歩夢さんは東京・国立劇場で開かれる「北方領土返還要求全国大会」で演説し、祖父と父の願いを引き継ぐ決意を訴える。(北海道新聞2023/2/6)

 「じいちゃんから島の話を聞いたことが、全てのスタートだと思います」。歩夢さんは、こう振り返る。

 祖父の幸雄さんは家族だんらんの場で、目が見えていた幼少期に見た島の風景を思い出し、繰り返し語った。「浜にはアサリ、海にはカレイ。ホッカイシマエビも大量に取れた。それが故郷、国後島南端のケラムイだった」。幸雄さんの話を聞くたびに「いつか北方領土に行ってみたい」という歩夢さんの思いは強くなり、中学3年の時にビザなし交流で択捉島に渡った。

■訪問が原動力

 目の前には、幸雄さんから聞いていた圧倒的な自然が広がっていた。その時の感動と興奮は、歩夢さんが根室高の部活動「北方領土根室研究会」に参加し、全国各地での出前講座や動画制作などによって、若い世代に領土問題を伝えていく原動力になった。

 歩夢さんの父、浩昭さんは30年以上前から、幸雄さんが生まれた国後島のケラムイと根室終戦直後まで結んでいた海底電信線の中継施設「陸揚(りくあげ)庫」の保存活動に力を入れてきた。陸揚庫は一昨年、北方領土関係の建築物で初めて国の登録有形文化財になった。

 浩昭さんは「電信線が父の故郷につながっていたと知ったことが、保存活動のきっかけだった。おやじから島の豊かさを聞いていたから、そう思ったのだろう」と語る。浩昭さんは幼いころ、北海道地図の国後島の位置に大きく「宝島」と書いたことを今も覚えている。父から子へ、子から孫へ。浩昭さんが保存に取り組む姿も、歩夢さんの高校での活動を後押しした。

 元島民の平均年齢は昨年末に87・2歳に達し、返還運動の継承は大きな課題だ。しかし、昨年2月にロシアがウクライナに侵攻し、日ロ間の対話さえ困難になったことで、歩夢さんは同世代の北方領土への関心がこれまで以上に薄れてしまったように感じている。

■3世代の願い

 「まず北方領土そのものを広く知らせ、元島民の記憶をつなごう」。7日の北方領土の日の全国大会では、幸雄さん、浩昭さんと3世代共通の願いを訴える。

 歩夢さんは4月から札幌の専門学校に進学し、根室を離れる。「国後島に行くチャンスが生まれたら、じいちゃんが愛した風景を自分の目で見てみたい」。今後も領土問題を伝える活動は続けていくつもりだ。

 「息子と孫は誇り。今は領土返還は難しいだろうが、いつかきっと島は返ってくる」。幸雄さんは、顔をほころばせて言った。(武藤里美、松本創一)

 

国後島・古釜布から10kmエリアに新たな居住地を開発

国後島を管轄する南クリル地区行政府は、ユジノクリリスク(古釜布)から約10km離れた、かつて旧コスモデミャンスキー村があったエリアに、新たな居住地を形成することを決定した。(※場所は近布内のそばと考えられる)建設部門の責任者であるアクシンヤ・ピフティナ主任建築士が南クリル地区議会で明らかにした。1946年以降、旧コスモデミャンスキー村には、小型漁船の修理工場があり、国営農場「ダールニイ」で牛が飼育されていた。ゴミレフスキー市長は「かつて村があったエリアで道路整備を行った後、電力供給や民間住宅の建設を始めることができる」と語った。(kurilnews.ru 2023/2/3)

 

色丹島・斜古丹 3階建てアパートが完成 老朽住宅から28家族が入居

色丹島マロクララスコエ村(斜古丹)のストゥデンチェスカヤ通りに、3階建てのアパートが完成し、老朽化した住宅に住んでいた28家族が入居した。色丹島を管轄する南クリル地区のゴミレフスキー市長は「老朽化して危険な住宅からの住み替え政策で、住宅建設が続けられている。今年は色丹島マロクリリスコエ村とクラボザボツコエ村(穴澗)に3階建てのアパート7棟が引き渡しとなる。さらに国後島ユジノクリリスク市(古釜布)では住宅3棟を建設し、合わせて214家族が新居に移り住む」と語った。アパートはモノシリック構造で震度9ポイントにも耐えられる設計で、地震が多い色丹島では特に耐震性が重要。各住戸には配管、電気ストーブ、給湯器が備わっているほか、ファサードにロッジア(開廊)が設けられている。新居を待ちわびていたタマラ・チスチャコワさんは「長い間、新しいアパートでの暮らしを夢見ていた。以前の家は古くて、状態がとても悪かった。今はとても幸せです」と話した。またタチヤナ・プラズニコワさんは「アパートは広くて明るく快適です」と付け加えた。(kurinews.ru 2023/2/3)

 

色丹島の景勝地マタコタン 氷上釣りで賑わう

色丹島のオトラドナヤ湾(マタコタン)は、氷上釣りの島民で賑わっている。この日は50人がやってきた。最近はワカサギがどこかへ行ってしまったようで、「なかなか釣れない」とぼやく声がしきり。(ShikotanNews 2023/2/5)

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択捉島・瀬石温泉 暗闇と吹雪の中、紗那からスノーモビルで23km 産科医が出産を助けた

猛吹雪に見舞われた2 月 3 日の朝、択捉島ゴリャチエ・クリュチ(瀬石温泉)村で、体重2600グラム、身長48センチの女の子が生まれた。地元の診療所の医師から、クリリスク(紗那)の地区中央病院に「女性の陣痛が予定しより早く始まった」と助けを求める連絡が入った。通常の交通手段ではたどり着くことは出来なかった。択捉島を管轄するクリル地区行政府によると、産科医のザラフシャン・パルタエバ医師は、救助隊が操縦するスノーモビルに乗って吹雪の中をゴリャチエ・クリュチに向かった。可能な限り最短時間で到着し、女性は無事出産することができた。「関係機関のよく調整された行動のおかげで、すべてがうまくいった。地区中央病院の医師とクリル緊急事態省の職員は、真っ暗闇の吹雪の中を走った」と称えた。女の子は、地区中央病院に移される予定。(astv.ru 2023/2/4)