北方領土の話題と最新事情

北方領土の今を伝えるニュースや島の最新事情などを紹介しています。

サハリン州内の公務員とその家族320人が招集 部分動員令

サハリン州では部分動員令により、州内の国家機関や地方自治体の職員とその家族320人が招集され、その数は日々増加している。地方自治体で招集が多いのは、コルサコフ地区、ノグリキ地区、オハ地区、ユジノサハリンスク市で、教育や社会保障、医療、民間防衛・緊急事態、林業・狩猟部門の職員が目立っている。(サハリン・インフォ2022/9/27)

 

招集を逃れ20万人以上のロシア人が出国 約半数はカザフスタン経由で第三国へ

部分的動員令が発表されて以降、ロシアでは20万人以上が出国した。最も多いのはカザフスタンで9月21日から26日までに約9万8,000人にのぼる。40kmの交通渋滞の中、人々は何時間も待っている。同国のトカエフ大統領はロシア人を助けることを約束とたが、「観光客」の急激な流入で住宅や一部のサービス価格が上昇した。脱出したロシア人にとって同国は通過点で、9万8,000人のうち6万4,000人は第三国に出発している。2番目に多いのはジョージアで26日までに5万3,136人が検問所を通過。次いでフィンランドが2万2,666人。部分的動員令が出てから、この3カ国に19万5,000人が逃れた。ロシア人が飛行機で飛んだトルコとアルメニアは統計数値を発表していないが、全体で20万人を超えてたこと間違いない。(サハリン・インフォ2022/9/28)

 

北方領土墓参の枠組みはビザなしによる相互訪問を認めたものだった--「1986年の協定はソ連と日本の領土にある先祖の墓へ相互に訪問するという人道上の配慮から合意された」ロシア外務省

 今年3月、ロシア外務省は日本がロシアに対する制裁を課したことを受けて、ビザなし渡航に関する協定の一時停止を決定した。それから半年後の9月3日、ミシュスティン首相はビザなし渡航に関する二国間協定からの離脱に関する法令に署名した。

 ビザなし渡航の破棄により双方が何を失ったのか、とりわけロシアと日本の隣人関係の発展にどのような害を与えたのを理解するため、1992年から2019年まで行われたビザなし交流について振り返ってみたい。この間、択捉島国後島色丹島に住む1万1,032人のロシア人がビザなしで日本を訪れた。また、2万5,800人を超える日本人がクリル諸島南部(北方四島)を訪れた。この中には島々に住んでいた元島民と家族が含まれている。さらに、ビザなし交流の一環として医師、日本語教師、科学者などの専門家がクリル諸島南部を訪問し、逆に島のロシア人住民は日本のさまざまな地域を訪れることができた。、こうしたビザなし交流は領土問題を背景にした市民外交の一つの手法だった。

 しかし、2020年に新型コロナウイルスの感染拡大により2020年のビザなし渡航が中止された。2021年も同様の理由で実施されなかった。そして2022年、困難な地政学的状況により、ビザなし渡航はキャンセルされた。

 ビザなしによる両国住民の相互訪問は過去3年間行われていない。1945年まで「千島」という名称で日本帝国の一部だったクリル諸島で生まれた日本国民にとって、この状況は陰鬱だろう。高齢になった元島民は今年まで、新型コロナ感染拡大の終息後、生まれてから子供時代を過ごした島々を訪れる希望を捨てていなかった。

 ロシアは日本とのビザなし渡航に関する協定を破棄したが、それは2つの文書を念頭おいたものだった。1991年10月14日の相互訪問の手続きに関するソ連外相と日本外相間の往復書簡形式による協定と、1999年9月2日の日本国民(元島民及びその家族)による国後島択捉島、小クリル諸島(色丹島歯舞群島)への最大限簡易化された訪問に関する協定(自由訪問)である。

 1991年4月にソ連ゴルバチョフ大統領が訪日した際に、ソ連側は両国間に領土問題が存在することを初めて認め、解決する方法をさぐる必要性を表明した。そして10月14日、相互訪問の手続きに関するソ日外相間往復書簡形式の協定」が署名された。これが北方四島在住ロシア人と日本国民による市民外交としてのビザなし交流である。日本側は択捉島国後島、小クリル諸島を「北方四島」と呼んだ。1992年4月、クリル地区の択捉島と南クリル地区の国後島色丹島の住民からなる最初のビザなし交流訪問団が日本に行った。

 ビザなし交流の範囲は、1999年9月2日の日本国民(元島民とその家族)による国後島択捉島、小クリル諸島への最大限簡易化された訪問に関する二国間協定によって拡大された。この合意は、当時の橋本龍太郎首相がエリツィン大統領に要請して実現した「自由訪問」を意味する。これは、元島民の子供たちが先祖の墓がどこにあるかを知り、忘れないようにするための枠組みだった。

 これら2つの協定の枠組みの中で、クリル諸島南部のロシア人住民は誰でも日本を訪れることができた。そして、主として元島民とその家族などの日本国民はクリル諸島南部を訪れることができた。ビザなし交流代表団のリストにはいくつかの組織の活動家や議員、ジャーナリスト、日本の外務省職員などが含まれていた。

 ロシアは9月3日、これら2つの協定を破棄したことで、ビザなし渡航はすっかり忘れ去られたかのようだ。高齢化した日本の元島民が苦しんでいるのは、年に一度、祖先の墓参りをして、自分が子供の頃に走り回った居住地跡を訪れる機会を奪われているからだ。

 しかし、ロシアが破棄していないビザなし渡航に関する別の(第3の、より正確には最初の)二国間協定が存在する。これは1986年7月2日付のソ連と日本にある日本人とロシア人の埋葬地への相互訪問に関する協定である。この文書は、互いに墓地を訪問するための合意である。ロシア外務省ユジノサハリンスク代表部によると、ロシアは人道上の理由からこの協定を撤回していない。墓地への相互訪問に関する協定が引き続き有効だとして、なぜ日本人は2022年にクリル諸島南部を訪問しなかったのか。この協定は相互協定であり、ロシア国民も日本にあるロシア人の墓地や埋葬地をビザなしで訪問する権利を有することを意味する。日露戦争の犠牲者だけでも相当の数が存在する。

 ユジノサハリンスクの日本総領事館は「2022年に墓地訪問を含め、四島で交流プログラムを実施することは極めて困難になった。実際には、ビザなし渡航の新しいシーズンを前に、両国の当事者が計画の承認を行っているが、現時点でプログラムを調整できる適切な条件は見当たらない」と言った。しかし、日本政府は、お墓参りをはじめ四島との交流プログラムをできるだけ早く再開できることを心から願っている」と付け加えた。

 サフコム通信の記者が1986年に合意した協定の下で、日本に親戚が埋葬されているロシア人がビザなしで墓参りに行くことはできるかについて尋ねた。日本総領事館は「島(北方四島)との交流プログラムは原則として提供されていない」と回答した。

 しかし、クリル諸島南部に住むロシア人がビザなし交流プログラムの一環として日本にあるロシア人墓地を訪ねた例が過去にあった。2012年10月には、大阪府日露戦争のロシア人捕虜の墓地に、2006年10月には鳥取県石見市のロシア人将校3人の墓に行っている。

 この点についてロシア外務省に聞いたところ、1986年の合意に基づく2020年と2021年のビザなし渡航は新型コロナの感染拡大により不可能だった。2022年に状況が改善した後、ロシア側は1986年7月2日の日露合意が引き続き有効であると繰り返し確認している。しかし、この形式でのビザなし渡航(墓参)の実施について、日本からの要請は受けていない」--。「1986年の協定は、ソ連と日本の領土にある先祖の墓へ相互に訪問するという人道上の配慮に基づいて締結された」とロシア外務省は説明した。協定締結の直後、1986年12月、ソ連市民の最初のビザなし渡航訪問団が日本を訪れ、長崎、松山、泉大津にあるロシア兵の墓地を訪れた。訪問団には、ソ連外務省職員、ロシア正教代表、ソ連赤十字に加えて、日露戦争中に日本で埋葬されたロシア兵と船員の遺族6人が含まれていた。1989年11月から12月にかけて、2番目の訪問団が金沢、下田、船橋、函館、戸田のロシア人墓地を訪れた。

 興味深いことに、現在でも有効なこの協定のもとで、理論上は日本への訪問は可能だが、ただし「身分証明書(国内パスポート)及び日本の領事館が認めたリストに掲載されたグループ による訪問で、外交ルートを通じて当事者間で決定された具体的な詳細(訪問場所、ルート、プログラム、交通手段)が必要だという。(サハリン・インフォ2022/9/27)

 

ロシア--ウクライナ戦力伯仲 戦争来年まで続く可能性 小泉氏釧路で講演

ロシアの安全保障戦略に詳しい東大先端科学技術研究センター専任講師の小泉悠氏(40)が26日、「ロシア・ウクライナ戦争と日本 北方領土問題への影響」をテーマに釧路市内で講演し、「現在ロシア、ウクライナ両軍の実力は伯仲しており、戦争は来年いっぱいまで続く可能性がある」との見通しを示した。北方領土問題に関しては「ロシアは領土問題を日米同盟を弱体化させる材料として見ている。現状では日本がロシアに妥協しても動く気配はない。安全保障の観点からも日本はロシアへの経済制裁ウクライナへの支援を続けるべきだ」と強調した。(北海道新聞釧路版2022/9/27)

 

根室海保の巡視船「さろま」引退 出動32年 知床・観光船事故など活躍

 根室海保の巡視船さろま(180トン)が26日、32年余りの任務を終え引退し、根室港で解役式が開かれた。根室海峡の日ロ中間ライン近くの哨戒や、知床半島沖の小型観光船沈没事故などさまざまな場面で活躍した。同海保の小窪貴輝部長は「根室の海を見守り、活躍してくれた」とねぎらった。(北海道新聞根室版2022/9/27)

 さろまは全長43メートル、最大速力は35ノット以上。1989年11月の配属から一貫して同海保で活動した初の巡視船で、地球17周分にあたる68万6千キロを航行、船17隻、81人を救助した。

 さろまは、北海道南西沖地震災害派遣や、ロシア国境警備隊によるカニかご漁船「第31吉進丸」の銃撃、拿捕(だほ)事件で死亡した乗組員の遺体引き取り業務も担った。4月の知床の小型船沈没事故では行方不明者を捜索。小窪部長は「北方領土を抱える海域で黙々と活躍してくれた」と話す。

 解役式には職員ら23人が参加。海上保安庁の旗を降ろした。田村尚樹船長(42)は「後継船に代わっても、根室海峡の安全を守るためまい進する」と語った。

 さろまは同海保の巡視船5隻のうち最も古い。10月19日には、船舶火災に対処する遠隔放水銃や、夜も不明捜索ができる遠隔監視採証装置などを装備する同名の新造船「さろま」(195トン)が配備される。(川口大地)

 

ロシア部分動員令、極東でも波紋 北方領土から招集 徴兵事務所襲撃も

 ロシアのプーチン大統領が決めたウクライナ侵攻に関連した予備役の「部分動員令」が、極東でも波紋を広げている。北方領土では26日までに国後、択捉両島で少なくとも45人を招集。四島を事実上管轄するサハリン州政府は家族への支援金支給を表明するなど住民の不満払拭(ふっしょく)に躍起だ。極東全体では抗議による銃撃や放火事件も起きており、国内の社会不安は収束の見通しが立たない。(北海道新聞2022/9/27)

 択捉、国後両島の地元紙などによると、26日までに択捉島から20人、国後島から25人が招集された。択捉島の地元担当者は「仕事は完了した」としている。

 サハリン州のリマレンコ知事は22日、交流サイト(SNS)に「ドンバス地方(ウクライナ東部ドネツク、ルガンスク両州)を守るという問題ではない。ロシアの未来や住民の安全保障に関わることだ」と投稿し、動員令の意義を強調。招集を本格化させたが、州の動員数は明かしていない。

 23日には州都ユジノサハリンスク中心部の「勝利広場」で部分動員令を支持する集会も開かれた。サハリン州では2月の侵攻直後も目立った抗議活動は表面化せず、今のところ平穏を保っているようだ。ただ、同州は9月中旬の統一地方選プーチン政権与党「統一ロシア」の得票率が唯一、5割を切った地域で、住民には不満がくすぶっているとみられる。

 州政府は26日、招集された住民の家族に対する30万ルーブル(約75万円)の一時金支給を発表したほか、健康上の問題を抱えるなど動員に適さない人が招集されているとの住民の訴えを検証する特別委員会を設置。世論の反発を警戒しているとみられる。第2次大戦末期、日本統治下の樺太に侵攻した旧ソ連軍の「英雄」の孫が部分動員に志願した話など、戦意高揚を意図した報道も増えている。

 独立系メディア「メドゥーザ」は、部分動員令が出された21日以降、国内約20カ所の徴兵事務所に火炎瓶による放火や銃撃があったと報道。極東ではハバロフスクやザバイカル地方などで放火が確認され、26日には極東に近い東シベリア・イルクーツクの徴兵事務所で責任者が銃撃され、集中治療室に運ばれたという。

 プーチン政権は軍務経験や専門的な軍事技術を持つ予備役を招集対象とし、人数は2500万人のうちの約1%と説明。だが、猶予されるはずの学生や予備役でない国民に召喚状が届くなど、対象の曖昧さが国民の不信感を招き、招集を逃れるため国外に脱出する若者らも後を絶たない。

 各地方政府が政権への忠誠を示そうと動員の号令をかけていることも混乱を助長。ウラジオストクを州都とする沿海地方は7700人の動員を計画している。

 抗議活動の激化について、マトビエンコ上院議長は25日、対象外の国民が招集されているとして地方政府に是正を要請し、「社会の強い反発は正しい」とSNSに投稿。ウォロジン下院議長も「間違いはただすべきだ」と指摘した。両氏はプーチン氏に近く、不満が収束しない状況に焦りがあるとみられる。(渡辺玲男)

 

北クリル・オネコタン島のクレニツィン火山「ロシアのパワースポット」トップ10に選定

クリル諸島(千島列島)北部のオネコタン島(温禰古丹島)にあるクレニツィン火山(黒石山、1324m)がロシアの「パワースポット」トップ10に選ばれた。「ロシアのパワースポット」プロジェクトは、美しく重要な場所を全国規模の投票で選ぶもの。クレニツィン火山は世界最大の「火山の中の火山」二重火山と考えられている。高さ900mのカルデラ壁に囲まれた直径7kmのタオ・ルシィル湖(幽仙湖)の中にあり、地元の人々は「世界の8番目の不思議」と呼んでいる。最後の火山噴火は1952年に記録された。火山頂上からは湖と海そしてクリル諸島の島々の絶景を楽しむことができる。(サハリン・メディア2022/9/25)