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根室の「陸揚庫」調査 専門家会議が保存、活用へシンポ開催

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 根室市が設置した北方領土問題に関する専門家会議は31日、終戦直後まで根室国後島を結んだ海底ケーブルの中継施設「陸揚庫」の現地調査を行った。専門家会議の「陸揚庫の保存と活用を考える分科会」の4委員が、保存や活用に向けて建物の状態を確認した。委員たちは、ケーブルを通していたとみられる約15センチ四方の開口部や、しっくいが塗られた内装、陸揚庫を波から守るための擁壁などを1時間かけて調査。劣化の進み具合や建設年代を調べるため、写真に収めたり、手で触れたりした。(北海道新聞釧路根室版2021/8/1)

 陸揚庫は市内西浜町の海岸にある鉄筋コンクリート造の建物で、1935年(昭和10年)ごろの建築とみられる。陸揚庫については国の文化審議会が7月、登録有形文化財にすべきだと文部科学相に答申した。

 分科会委員で国交省国土技術総合研究所シニアフェローの長谷川直司氏は調査後「場所が海岸に近いため塩害や凍害を受けており、非常に厳しい状態。まずは劣化を止めて回復する必要がある」と話した。

 その後のシンポジウムには分科会委員の札大教授の川上淳氏、北海道博物館学芸員の右代啓視氏、根室市史編さん委員の桐澤国男氏、長谷川氏が登壇。陸揚庫の保存と活用に向けた課題として「当時と同じ素材ではなく、強度や耐久性を備えたコンクリートを使うべきだ」「見学者が多い時期は、案内役を兼ねた管理人を配置するのがよい」などの意見が出た。(武藤里美)

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根室--国後通信回線 島の暮らしの生命線 厳寒の海峡越え敷設 流氷で切断も<北方領土遺産を訪ねて>2

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 終戦直後まで、北方領土根室半島を結んだ通信回線。国後島を経て択捉島の東端まで海底も含め、総延長は約370キロに及ぶ。島の暮らしの「生命線」だった通信回線の歴史を追った。(北海道新聞2016/10/31)

■標津ルート

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 標津川左岸。河口近くにかつて標津と国後島泊の間約25キロをつなぐ海底ケーブルの「海底電信基地」があった。れんが造りの建物は地震などで崩れ、わずかに痕跡を残すだけ。往時の建物が、標津町ポー川史跡自然公園に復元されている。

 1897年(明治30年)、政府は国後島から択捉島まで通信回線網を敷いた。千島海峡は古くからラッコやオットセイなど海獣類の一大生息域で、当時は外国船の密漁が横行していた。ロシアの南下政策にも警戒を強める必要があり、通信手段の確保が急がれた。

 北方領土の通信回線に詳しいポー川史跡自然公園の元園長椙田(すぎた)光明さん(65)は、ルートについて「直線距離で最短の野付半島沖は潮の流れが速く、難しいと判断し、標津沖は潮の流れが緩やかなので選ばれた可能性がある」と解説する。

 97年10月に業務を始めたが、99年2月、流氷で切断。7~8月に復旧させたが、再び被害に遭う恐れがあり、1900年に廃止、根室ルートに変更された。

 その後、建物は手つかずのまま、94年10月の北海道東方沖地震で完全に崩壊した。基地跡には、れんがの欠片がわずかに散らばる。

根室ルート

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 根室市西浜町ハッタリ浜に、海底ケーブルの中継所「陸揚庫(りくあげこ)」がその姿をとどめる。国後島最南端のケラムイまで約38キロ。1900年のルート変更に伴い、建てられた。千島回線陸揚げ庫保存会の調べによると、建築工学分野では、道内最古のコンクリート建造物という。

 ケーブルは太さ約7センチ。ドイツ製とみられ、一部が道立北方四島交流センター(ニ・ホ・ロ)で展示されている。ケーブルの両側に電話の受話器がつながれ、今も実際に会話ができる。

 戦後、陸揚庫は民間に払い下げられ、漁具などの倉庫に長く利用された。根室市は2011年度から保存の検討に入り、13年度に所有者から土地と建物を100万円で購入。15年度は周辺のごみなどを撤去した。

 保存会長の久保浩昭さん(48)=根室市=は、父親がケラムイの出身。「ケーブルは根室、ロシア双方にとって、重要な歴史遺産であり、友好のシンボルだ」

■幻の“復活”

 1956年、日ソ共同宣言を受け、北方領土返還の機運が高まると、当時電電公社(現NTT)職員だった大本保さん(85)=根室市出身、釧路町在住=の身辺も慌ただしくなった。

 「色丹島に無線局を開くことになれば、行ってもらう。その前に勉強を」。上司の指示で58年から2年間、三重県鈴鹿市の施設で研修を受けた。当時20代後半。大きな仕事に「やるぞ」と、気持ちが沸き立った。

 四島で暮らした経験はないが、根室勤務時代、国後島択捉島で勤務経験のある先輩からよく話を聞いた。「島はすぐ帰ると思ってた。ここまで長引くなら、もっと詳しく聞き、きちんと記録に残しておくべきだった」。そんな思いに駆り立てられ、北方領土の通信回線網について元島民から聴き取りを続けている。

 「軍事目的で敷設されたと誤解されていますが、民間用として使われ、暮らしに欠かせないものでした」

 ルートなどは古い資料に記録されているが、聴き取りを通じ、基地や無線局を支えた人たちの暮らしぶりが浮き彫りになってきた。

 「ケラムイの基地までは岬沿いに毎日馬で通った」「紗那(しゃな)では夜、自家発電施設を持つ無線局と郵便局にだけ電気がともっていた」

 そうした証言を一つ一つ積み重ね、「本当の姿を伝えていきたい」と願う。

■兄が逓信所職員・山田さん(択捉島出身) 最南端・丹根萌の陸揚庫 津波で跡形も無く

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 択捉島出身の山田勇さん(90)=札幌市=は2015年7月、北方領土の元島民が古里を訪れる自由訪問団に最高齢で参加し、最南端の丹根萌(たんねもい)を訪れた。徴兵で離れて以来70年ぶり。当時は国後島からつながる海底ケーブルの中継地だったが、建物などは津波で流されたのか、跡形も無くなっていた。

 山田さんの兄は、逓信所の職員としてケーブルの見回りや修理を担った。山田さんも陸揚庫に出入りし、遊んだ思い出の場所だった。自由訪問では「上陸時間が限られている中、一生懸命、浜を探したが、見つけられなかった」と悔しがる。

 陸揚庫はれんが造りの頑丈な造りだったという。幅2・5メートル~3メートル、奥行きは5メートルほど、高さは3メートルほど。階段で地下約2メートルまで下りることができ、ケーブルがつながっていた。地上部にスイッチがあり、回線のオンとオフを切り替えた。

 択捉島国後島の間の国後水道は波が荒く、潮流も激しく変化した。特に冬季は流氷に擦られてケーブルが切れてしまい、通信が止まって無線でのやりとりを余儀なくされた。国後側はアトイヤ岬から、白糠泊にルートを変更している。

 6~8月に修理のための船が丹根萌に訪れたのを覚えている。作業の腕を見込まれ、富山県から国後島択捉島に派遣された作業員もいた。ロシアの南下政策で、両島の通信網整備は重要な位置を占めていた。

 山田さんが息子らと70年ぶりに訪れた古里は、浸食によって砂浜が小さくなるなど、風景が変わっていた。牧畜業を営んだ生家のあった場所は、馬を囲った柵の跡が残るのみだった。

 「家族に当時の島の様子を伝えたが、もう少し何か証しのような物が残っていれば…」。70年という時間の重みを感じた自由訪問だった。

 北方領土との通信回線に関する資料などを見学できる施設は次の通り。

北方領土遺産

 道が2015年に着手した事業。北方領土ゆかりの建物や文書、元島民の証言などを後世に伝えながら、領土問題への理解を深め、返還運動や日ロ交流の後継者を育てる狙い。(水野薫、樋口雄大

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根室--国後海底電信線「陸揚庫」31日に講演会 保存の課題話し合う

 北方領土問題に関する専門家会議の取り組みとして、根室市は31日、終戦まで根室国後島を結んだ海底ケーブルの中継施設「陸揚庫」の現地視察と、市民向けの講演会を行う。陸揚庫は国の文化審議会文部科学大臣登録有形文化財とすべきだと答申しており、市は保存のあり方を議論する一歩としたい考えだ。(北海道新聞根室版2021/7/29)

 専門家会議の中の「陸揚庫の保存と活用を考える分科会」としての活動。分科会の委員には文化庁文化財調査官の経験がある国交省国土技術政策総合研究所の長谷川直司シニアフェローら4人が任命されている。

31日は午前中に4委員が現地調査を実施。午後1時半から道立北方四島交流センターで講演会とシンポジウムを行う。

 第1部は長谷川氏が文化財登録の意義や保存に向けた考え方をテーマに記念講演をし、第2部のシンポジウムでは分科会の4委員が施設の保存や活用に向けた課題を話し合う。札大教授の川上淳氏、北海道博物館学芸員の右代啓視氏、根室市史編さん委員の桐澤国男氏、長谷川氏が登壇する。

 石垣雅敏市長は「根室北方領土問題について1番ふさわしい使い方について見識をいただきたい」と話している。講演会は入場無料。定員100人で申し込み不要。問い合わせは市北方領土対策課☎0153・23・6111へ。(武藤里美)

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「この灯 絶やさずに」ビザなし来年30年 根室で専門家会議・詳報

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 北方領土のビザなし交流が来年、開始から30年を迎える。根室市は17日に交流のあり方を考える専門家会議を設置し、岩手県立大の黒岩幸子教授の講演会とシンポジウムを市内で開いた。シンポジウムには千島歯舞諸島居住者連盟(千島連盟)副理事長の河田弘登志さん(86)、色丹島元島民の得能宏さん(87)、根室商工会議所会頭の山本連治郎さん(73)、交流を支援する「ビザなしサポーターズたんぽぽ」代表の本田幹子さん(63)が加わった。進行役は谷内紀夫・根室市北方領土対策監。主な内容を紹介する。 (北海道新聞釧路根室版2021/7/27)

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岩手県立大・黒岩教授講演「実利ある交流を」

 ビザなし交流には1992年に通訳として初めて参加しました。当初、島のロシア人たちは給料も出ないボロボロの生活ながらも、元島民の日本人に対して親密な感情を見せていました。かつて島に住んでいた日本人に共感を覚えたのでしょう。

 ビザなし交流の対話集会では、日本側が「領土問題を解決して一緒に住もう」、ロシア側は「経済協力しよう」と訴え続け、議論は平行線をたどりました。その後、領土問題が解決しない限り日本側の経済協力が引き出せないと分かると、ロシア人島民は対話の場に出て来なくなりました。

 2011年に最後に行った時、完全に島は変わっていました。ビジネスライクな雰囲気になり、(四島を事実上管轄する)サハリン州政府の影が見え隠れしていました。「サハリン州知事はクリール(北方領土と千島列島)に配慮してくれています」と、それまで聞いたことのないようなあいさつや、「ここまで来たら引き渡しなんかありえない」という声を聞きました。

 交流の可能性について、アイデアは出尽くしていると思います。根室の皆さんはいろいろ知恵を絞ってきて、管内の自治体が06年に作った提言書では「日用品を四島に(有償で)持って行く」「経済特区をつくる」と書いています。友好交流だけでは、最初は華やかに始まっても続きません。やっぱり双方がもうからないと。具体的なことを進めるのが必要な時期です。

 歴史を見ても、根室と四島は有機的に一体化して交流してきました。ビザなし交流が始まって30年たちますが、諦めることなく、北方四島を組み込んだ実利のある交流をしてほしいと思います。

■シンポジウム 人間関係継続が「財産」

 谷内氏 ビザなし交流に成果はあったでしょうか。

 河田氏 1994年に国後島択捉島に行きました。そのとき、ここは日本人の領土だと率直に言ったつもりです。根室に来たロシア人との懇談でも「私は小学5年生まで歯舞群島多楽島にいたんですよ。突然、旧ソ連軍がうちに土足で入ってきた」と伝えました。交流を通じて、互いに言いたいことを言う。それが大切ではないかと思います。

 得能氏 交流が始まったときに喜んだのは、ロシア側から先に来てくれたことです。友好ムードをつくることができました。その後、私を含めて四島の出身者12人が代表として訪問しました。色丹島の穴澗では、はだしになって、古里の砂浜の感触を楽しみました。択捉島の紗那では大変な歓迎を受けました。(新型コロナウイルスの影響を受けている)最近2年間を除けばビザなし交流は切れ目なく続いてきました。これからも続けないといけない。

 山本氏 私が小、中学生のころはコンブ漁に出た船が毎年のように拿捕(だほ)されました。暗いニュースばかり聞いていて、ロシア人にもそういう印象がありました。ビザなし交流が30年も続くとは思ってもいませんでした。この灯を絶やしてはいけません。

 本田氏 母が元島民で熱心に返還運動をやっていました。ビザなしで根室に来た青少年のホームステイを受け入れていました。私もお手伝いしました。母が一生懸命な姿を見て(領土問題が)解決に向かうのかなと期待しました。結局、そうなりませんでしたが、仲の良いお友達もできました。この30年間はとても重要だったと思います。

 谷内氏 お母さんは(旧ソ連に島を奪われた)元島民でありながら、ロシア人島民を受け入れました。

 本田氏 自分たちが島を追われ、帰れないのは悔しいし、悲しい。でも母はいつか島が返還されると思っていました。その時、ロシア人の子どもたちを島から追い出したら、自分たちと同じ思いをさせてしまう。そうはしたくない。島が返っても子どもたちや島の人たちと一緒に住むしかない、と言っていました。

 谷内氏 「買い物ツアー」などの批判もあり、13年から交流の見直しが行われました。青少年の受け入れは東京など大都市で行う、全ての事業に国会議員の参加を促す―などです。

 黒岩氏 根室を通過点にし、大都市を見せたいという発想なのでしょうか。ロシアにもモスクワなど大都市があるのに。国会議員も(領土問題を)分かってくれる人に絞るべきです。

 谷内氏 根室管内の人たちが代表団を組んで島に行き、島の人たちと懇談する事業はありません。国、道にこうした地域間交流を要望しています。船が1隻しかなく日程的に難しいことなどが課題です。

 山本氏 私たちも船を1隻から2隻に増やしてほしいと国に要望したことがあります。定期航路開設や経済交流がビザなしの発展につながるのではないか。

 河田氏 ビザなし交流の最初に立ち返り、どうあるべきか考える必要があります。過去、根室管内と四島の経済のつながりを深めようという時に、あまり賛同を得られなかったことも思い起こしてほしい。

 谷内氏 ビザなし交流の財産は人間関係が継続していることだと思います。

 得能氏 色丹島の私の生家はソ連国境警備隊の基地になり、それ以来立ち入り禁止になっています。ビザなし交流などで島に行き、懇意になった人たちにお願いしました。どうしても生家に行かないと、死んでも死にきれないと。彼らは理解してくれました。13年に特別に入域を許可されました。腹を割って話すと、こういう道も開けます。

(武藤里美、川口大地、黒田理)

<ことば>北方四島ビザなし交流 日本人と四島に住むロシア人がパスポート(旅券)とビザ(査証)なしで行き来する枠組みの一つ。1992年4月に「領土問題解決までの間、相互理解の増進を図り、領土問題の解決に寄与する」ことを目的に始まった。日本人が島を訪れる他の二つの枠組み「北方領土墓参」(64年~)と「自由訪問」(99年~)への参加は元島民らに限られるの対して、返還運動関係者や学術、文化などの専門家にも認められている。2019年までに日本から1万4356人、四島側から1万132人が参加したが、新型コロナウイルスの影響で20年は初めて全面中止になった。今年も再開が見通せない状況が続く。

ロシア首相、択捉島の水産加工場視察 スケトウダラの輸送費低減へ優遇制度創設を約束

ロシアのミシュスティン首相は択捉島訪問中、キトヴィ(内岡)にあるヤースヌイ水産加工場を視察した後、水産関係者と懇談した。極東で生産される魚をロシア鉄道で輸送する際に高い関税がかけられている問題について、ロシアの中央部に魚を輸送するための優遇制度を策定することを約束した。「特にスケトウダラの輸送について、優遇関税を設定する際に、ロシア鉄道がこうむる損失を助成する予定だ。輸送スピードがアップすることで、貯蔵しておくための冷凍施設の効率的な運用が可能になる」と述べた。さらに、首相は魚が漁獲され、家庭に届くまでのあらゆる段階で魚製品の価格形成を分析する。問題は価格であり、関連費用を減らす必要がある」と語った。(サハリン・インフォ2021/7/26他)

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択捉島視察のロシア首相 LNG供給のためのインフラ整備を支援 2023年にガス化

択捉島を初めて訪問したロシアのミシュスティン首相は、サハリン州が進めるガス転換政策に関して、クリル諸島(※北方四島)へLNG(液化天然ガス)供給のための支援策をまとめることを表明した。帯同しているリマレンコ知事は2023年の第4四半期に択捉島LNG貯蔵施設が稼働する予定だと述べた。首相は「国後島でも同様のプロジェクトがあり、3年後にはLNGが供給される」と付け加えた。また、インフラ整備に必要な資金について、「連邦と州の両方の予算が投入されるべきだ」と述べた。(サハリン・メディア2021/7/26)

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ロシア政府は、クリル諸島(この場合、北方四島)にフリーカスタムゾーンを導入し、外国人投資家を引き付けるために、ほとんどの企業活動にかかる基本的な税を免除することを検討している。択捉島の水産加工場を視察した後、首相は「この一連の措置は前例のないものだ。ここで何が出来るについて、大統領に相談する」と述べた。とりわけ、「製造業者が必要な機器や製品を輸入する機会を得るため、フリーカスタムゾーンを導入する可能性を検討している」と語った。クリル諸島では、企業は所得税付加価値税、固定資産税、土地税、車両関する税を免除することが出来る。これらの提案は「日本を含め欧米の投資家にとって良い解決策になるだろう。興味があれば、ここで雇用を創出するこが出来る」と述べた。一方で、「クリル諸島をオフショア(租税回避地)に変えることは出来ない。もちろん誰であろうと個人所得は免除することはない」と強調した。(サハリン・インフォ2021/7/26)

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